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僕はキャプテンのギルドのレビュー・感想・評価

僕はキャプテン(2023年製作の映画)
3.1
【セネガル、現代のオデュッセイアで課した大人像はこうだ!】【イタリア映画祭2024】
■あらすじ
巨匠マッテオ・ガッローネ(『ゴモラ』)が放つ渾身の一作は、セネガルの青年2人がアフリカを縦断し、ヨーロッパを目指す壮大な旅の物語。
セイドゥとムッサは、豊かな生活を求めて親族に知られることなく、ダカールを離れる。しかし、彼らを待ち受けていたのは想像を超える数々の困難だった。いわば現代版オデュッセイアの本作は、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)やマルチェッロ・マストロヤンニ賞(若手俳優賞)などを受賞、アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた。

■みどころ
まさかのセネガル映画でケツだけイタリア映画になってるのは草です。

イタリアの映画監督がセネガルの歴史背景を交えたナショナリズムの是非はともかく、撮りたい絵ありきの御遣い映画になっている感じが否めない印象です。
サハラ砂漠の壮大さ、拷問シーンの陰鬱さ…の絵の部分でしか良さを感じませんでした。

セイドゥはカタールの村で暮らしている16歳の青年である。彼の母親が家父長のような存在でもあり、ムッサと共に貯めたお金でヨーロッパでBIGになる!と話すと旅行で死ぬ人をたくさん見たからやめなさい!とマジギレされてしまう。

そんな姿をよそにセイドゥはムッサと共に旅行の準備をしにお祓いを済ませたり旅行の情報を仕入れるもあまり良いとは思えない反応をされる。
そして母に告げぬまま、カタールを跡にして旅行に行くのだが偽パスポートでぼったくられるわタクシーも新車(おんぼろ車)でぼったくられるわ…様々な出来事に遭遇する。

やがてサハラ砂漠を車で横断していくうちにとんでもない出来事を目の当たりにするが…

セイドゥとムッサの純粋無垢な青年に汚い大人の世界を明示する試練を課したり、その中でセイドゥの良心と純粋無垢さ故か幻覚を目にする神話的なディテールこそオデュッセイアのディテールだとは思う。
それでも、この映画がノれなかったのはセネガルにする要素ってどこにあったのだろうか?という部分が否めない。
恐らくサハラ砂漠、拷問するシーン、地中海のシーンがバチバチに決まっている構図を撮りたいが故の判断かもしれないが、どうも違和感を覚えてしまう。
それならイタリア映画らしい時代背景を設定した方が良いと思うし、なんというか「俺らが考えるセネガルの青年の成長物語はこうだと思う」な押し付け感がちょっと嫌だなーと思いました。

個人的にはDOGMANみたいな暴力性の脅威と余波こそ輝く監督だと思うし、またDOGMAN的な映画を撮って欲しい。
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