肉浪費Xアカウント復旧無理ぽ

52ヘルツのクジラたちの肉浪費Xアカウント復旧無理ぽのレビュー・感想・評価

52ヘルツのクジラたち(2024年製作の映画)
3.7
いかがわしい顔のオンナといかがわしいアゴヒゲオトコが"魂のツガイ"を求めても誰にも聞こえない叫びをあげつつも必ず受け取った人が"次へ"と優しい手をさしのべる、こうあって欲しいと祈る「性善説」
DV、ネグレクト、介護、LGBT豪華"悲惨"詰め合わせ社会問題を渡り歩いた大河のような"壮絶"半生の貴瑚がキナコに生まれ変わり幸せを掴みそこねるまでを、祖母の地元で同じ境遇の少女のような喋れない少年と出逢い、救われた恩を救う事で返そうとする"虐待の連鎖"を断ち切る覚悟と共に巡っていくヤな女、いい女たちが「少年」を囲む姦しき循環

恨ましき『日本社会』を意図せず体現してしまう「邦画(業界)」を見逃さず目の当たりにし、ただの"感動作"にするのか?どう捉えるのか??

を、考えさせてくれるので成島出監督らしさもあり、描こうとするべき核心に映画が迫ってない、演者とは別に至る所が足りてない『ファミリア』よりは、かなり"好印象"に捉えることができました。
というかですね、種族は全く違えど同日公開の『ARGYLE/アーガイル』も構成が「巻き込まれ」→「真実/潜入」→「正体」と二転三転するのもグイグイやられたけど、今作は今作で「現在」と「幼少期/3年前/2年前/1年前」が交互にカウントダウンしていく交差していく構成が、主人公の立ち位置が"転身"といえるくらい様変わりしていくので"壮大スペクタクル物語"かのように見入っていったんですよね。

簡単に例えれば、"俳優の挑戦"とキャラの配置や真相など被る部分を鑑みると"杉咲花版『流浪の月』"ですね。(語弊がありそうですが)
そういう男優トレンドを追う映画ファンには、『流浪の月』の横浜流星でいうところの「宮沢氷魚」さんの"クズ彼"が超・見どころじゃないでしょうか(笑)
最終出演シーンが大恋愛・運命の恋人との引き裂かれシーンみたいで若干シュールだったんですけどねw(見る人によっては大ツッコミシーンとなります)
が、これも序盤の伏線判明シーンになると…

近年でいえば、去年からの『法廷遊戯』から始まる、『市子』、本作の「杉咲花"挑戦"三部作」といえるくらいの作品群になったんじゃないかとw
要するに杉咲花さんが三連続三段飛びと言えくらいの"演技派女優"としてレベルアップしていった注目女優・注目作群だったと改めて思います。
まあ失礼ながら、マスターピースとは言わないが、そう思いつつ『市子』を見逃した大うつけ者なので、偉そうに並べて語ることは一切できないんですけどね?😉

序文群に色んな女が姦しい風に表現しましたが、この映画の"壮大さ"、"ヒューマンドラマとしての面白さ"を"下支え"してるのは、"脇役女優陣"だとハッキリ申せるのです。
具体的には、主人公キナコの母を演じた真飛聖、長髪「少年」を演じた西野七瀬、アンコ(安吾)の母を演じた余貴美子、キナコの学生時の親友を演じた小野花梨の主に「母」を演じた女たち。
それに加え、挙げた宮沢氷魚さん、主演枠?の志尊淳さんを含め、こうしてみると皆(ほとんど)の役者が"挑戦"であり、役者イメージを「破壊」するような役が多かったんじゃないかと…

と言っても、ツッコミに転じますが、どちらかというと「成島出監督」、「邦画界」に通じた面でいうと、まず難しい役である「岡田安吾」の配役でしょう。ここいうと原作既読者には一向にかまわないのでしょうがネタバレに直通してしまうので、そのままは避けますが、"ハリウッドでもこのようなセンシティブな配役"は炎上したのを聞くと、"設定に准じた相応した役者を用意できなかった"事自体が、邦画界・日本社会をまるっと含めた「呪い」のような気がしてならなくなってくるんですよね…
なにも、志尊淳さん自体は"一切悪くない"どころか"好演"で親身にキナコを助け、切に幸せを願っているのに佇まい、対話のそこはかとない"違和感"など絶妙と言っていい演技をなさってる。でも…「説得力」としてなんですよ…ただの"サプライズ"を重視しての起用は果たして・・・?

また、序盤からキナコの言動についても「少年」を女子じゃないとしても半裸のまま駆け出した少年を逃がすし、「少年」のちょっと洗濯じゃ落ちなかった服の体を成してない上下をまた着せるなど、「保護」する立派な大人にあってはならない行動をとり続ける…
母親の真飛聖さんも親子で医者の説明を聞いている"人前"で、取り乱し暴言はおろか暴行&首絞めなど"リアリティ"を損なう、"過激さを重視"したシーンが挙げたらきりが無いほど"目につく"んですよ…
そこらへんこそ、成島出監督自身が逸脱できていない「ザ・邦画」の呪いでもあるような気がします…

でもそんな度が過ぎた過激さがあれど、"熱演"に変換されてしまうのも事実で、彼女たちの今までに思い当たらない新鮮な演技がいいアクセントとして"悲惨さを加速"させていましたね(褒め言葉)。
親友役の小野花梨さんも、学生時代からの再会からフルスロットルで大声で"うるさい"までいく"不自然さ"を発揮していたんですよね…もしかして、この人、演技下手な方??となるくらいストレスにも(笑)

でもこの彼女の存在って、この映画で一番の"隠れたヒーロー"で"縁の下の力持ち"的な存在でもあるんですよ。
彼女は"誰かの付き添い"でありながら、学生時代の繋がりだけで貴瑚を助け、今度はそのキナコと一緒に「少年」を助ける為に奔走する。彼女も"身を切る「覚悟」"も携えて。

そんなモブ(ではないけどw)でも、"誰かの人生"のメインキャストじゃない『脇役』でも、"誰かの人生を変える「一助」"を行えると示してもらえたし、恩返しの精神がなかろうとも"誰かと誰かを繋ぐ"ヘルツの「翻訳者」的存在になれるのだと、現実でもそうなることを祈って止まないそんな映画でした😉