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狂ったバカンスのotomisanのレビュー・感想・評価

狂ったバカンス(1962年製作の映画)
3.6
 いろんなことを背負い込んでるが後ろ指を指されるような事はないし世間を良くしようと励んでさえいる。世間よりも頭一つ分くらいは稼いでいる自負もある。お蔭で電気技師として地位も名声も築いているし、自動車指導員にも任ぜられている。
 夏も終わりな今日も申し分ない週末、寄宿学校にいる息子と過ごすため新車のアルファで急いでいると邪魔立てするのは野放図な若い連中で、車なぞ使わせて親の顔が見たいものだ。
 おなじバカ息子バカ娘連に二度も三度も関わってガソリンまでせびり取られ、自分がガス欠。仮病使いの送り届けまで押し付けられる始末だが、その報酬のように彼らの中の小娘フランチェスカが39歳親父の心に付け入ってくる。絡んでくるヤツを一喝しようとすればスルリと尻尾だけ頬を撫でて躱してゆく。まさに「このアマ」なのだが、こいつがくすぐり処を心得てやがるというか、気が付けば若造だかバカ造だかの輪に責任も名誉もある大人が嵌っている。

 親たるの務めを再三口にしつつ神輿の上がらぬ39歳であるが、同時に1942年の二十歳でもあった。同じ二十歳が20年後この有様かと頭の半分が言っている。それからこの連中が生まれて育つ傍らで、戦後を栄進のため駆け抜け、結婚と一本立ち、やがて家庭は破局してみなバラバラ。
 その人生の始まりの号砲は北アフリカ戦線でヤシの実を落そうと撃った拳銃だった。それがヤシの代わりに英軍の狙撃兵を撃ち落とし手柄になってしまう。それが同じ二十歳の経験で、我が身と同僚を助けたものの手柄でも幸運でも割り切れないしこりがある。それなら、同じ若造の輪に嵌って平気でいる俺のもう半分は何者だろう?
 連中を振り払う機会を何度も見逃し、小娘をどうするわけでもなく、俺はダブルの若造だと奮い立てば案外連中のボスを伸してしまったりするわけで、バカ造どもから王位の返上を食らって、酒にも王位戦の重みにも溺れた翌朝には家来どもは勝手に現実への帰り支度だ。

 王に無断で勝手に自転する地球が悪いのか、地球に寄りかかる若造どもが悪いのか、月曜は王への尊敬不要とした世間が悪いのか。そのどれも指弾しない俺は悪いに違いない。自分再構築途上というのにフランチェスカは今日に向かって遠ざかり、御付きに去られた王様は王侯にはふさわしく無くなった半壊車でただ走り出す。もはや王だか酋長だか知れない者となって求めるのはフランチェスカの後ろ姿だけなのは女を見ればその名を叫ぶ若造の俺が教えてくれた。
 やっと付いた名目によれば、俺の中のダブルの若造の片割れがやっと目を覚ましたという事で、そいつは王者でどうやらバカらしい。
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