アイヴァン・ライトマンが手掛けた80年代の有名映画シリーズを、その息子であるジェイソン・ライトマンが直接的続篇として復活させた新シリーズの2作目で、前作にて脚本・監督を担ったジェイソンは、今作では脚本でのみクレジットされている。
前作「アフターライフ」の舞台はオクラホマ州の田舎町で、登場人物の数を必要最小限に抑え、ユーモアも控えめながらコンパクトで丁寧な人間ドラマが描かれていてとても楽しい作品だった。
今作「フローズン・サマー」の舞台は旧シリーズと同じニューヨークになり、登場人物がかなり増え、脚本も複雑になっているが、それがほとんど良い転換になっていないように感じて残念だった。
初代ゴーストバスターズのメンバーがゲスト扱いではなく物語の主軸にも関わってくるところは面白いのだけれど、新シリーズの主人公とその家族だけでなく、その周辺のキャラクター達も微妙な関与度ながら続投し、さらに新キャラクター達も登場して、結果的にそれぞれの役割が曖昧になってしまっている。
登場人物の多さも関係していると思うが、脚本の運びもあまりスマートではなく、メインの悪役が本格的に登場する終盤まで、場面は忙しく切り替わりながらも同じようなアングルやサイズの似たような場面の会話劇が続き、起伏と盛り上がりに欠けて退屈してしまった。
何もかも凍らせてしまうという今回のメイン悪役に対抗する人間側のキーパーソンに、炎を操るファイアマスターという存在があり、それは誰でどこにいるのかを探す展開があるのだけれど、ミスリードのようで別にそうでもない展開があったり、ファイアマスター以外に火を操る別の存在があったり、結果的にファイアマスターの能力は物語の重要な部分にそれほど関係しなかったりで… もう少し物語の展開と人物の役割をスマートに整理する方法があったのではと突っ込みたくなってしまった。
主演のマッケナ・グレイスやその兄役のフィン・ウルフハードを中心に、俳優達は皆それぞれの役割を好演しているだけに、何故こんなに散らかってまとまりがない作品になってしまったのだろうという気持ちになった。
前作の「アフターライフ」がとてもエモーショナルで清々しい読後感のある映画だったこともあって期待していたが、今作にはあまり満足できず残念だった。
アイヴァン・ライトマンから偉大な遺産を継承しているジェイソン・ライトマンには、絶対に作品をヒットさせなければいけないというプレッシャーもあったのか色々盛り込んだ結果として今作のような散漫な内容になってしまったのかもと想像するけれど…
ゴーストバスターズって、あまり捻らず、もっと気楽で、とてもストレートで、とにかく景気がよくて痛快な映画シリーズだったし、シリーズのファンの多くが求めていた続篇もきっとそういうものだったはずなので、次回は原点回帰的にそんな続篇を観られるといいなと思う。
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