YasujiOshiba

もっと遠くへ行こう。のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

もっと遠くへ行こう。(2023年製作の映画)
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アマプラ。24-37。ひたすらシアーシャ・ローナンを見る。どんでん返しから始まり、もう一度最初に戻って、そこからさらにひっくり返す。全部、シャーシャ。ナイーブなポール・メスカルと謎めいたアーロン・ピエールはその引き立て役。世界の終わりには、子どもがいない。ただ男と女の虚像だけがダンスする。そんな映画。ラストは説明調でなくてもよかったかもね。

追記:

原題の「foe」は「敵対者、対立者」の意味なのね。誰が誰と対立しているのかが物語を解くか鍵。そこはミステリー。想像しながら見て、予想を軽く裏切ってもらえる。冒頭、シャワーシーンでのシアーシャの不思議な慟哭から「あら、帰ってたのね」という展開が鍵だったんだな。

すぐに思い出すのはフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968年出版)でありリドリー・スコットの『ブレードランナー』(1982)。それもショーン・ヤングのレイチェル、ルトガー・ハウアーのロイ、ダリル・ハンナのプリス・ストラットンのことであり、さらにはハリソン・フォードのリック・デッカードがそうである可能性のこと。

A.I. と遺伝子工学が作り出すニンゲン・モドキは、モドキである以上に人間的になってしまう。人間は動物でありながら動物ではない存在だったのだが、その同一性がを、レプリカントという人間でもありながら人間ではない存在の出現によって撹乱される。しかもそこは、男と女がふたりだけで愛しあいながら生活するという閉鎖空間。

問いかけられるのは、誰かのために生きる愛につきものの、犠牲と欺瞞、欲望と禁欲。こうなってくると、どうにも実験室ムービーであって、リアルじゃない。どこまでも思弁的なゲームにつきあわされている感じになってくる。ときおり見えるサイロの養鶏場や、高速道路のドライブインのようなレストレンが、なんとも舞台の書割(かきわり)のようで、むしろそっちをもう少し見てみたかったような気もする。
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