池袋グランドシネマサンシャイン。24-53。砂を見に行こうと、なぎちゃんに誘われて。最高。映画館もよかった。席もよかった。音もズズーンとしてシマー節、これもよかった。映像ももちろんバッチリ。さすがビルヌーヴ。
アニャは一瞬だけで可愛かった。レベッカは耳なし芳一状態でも美女だし、ランプリングは闇に沈んでも存在感バシバシ。プーやレアセドはゼンデイヤの引き立て役。ゼンデイヤが引き立てたのはシャラメ。それにしてもハルコネンの末裔だったとは。あれ、原作でもそうだったっけ。ずっと昔に読んだので忘れてもた。
ともかく見終わった。いいラストシーンだった。これで終わりか、余韻があってよいなと思ったけど、なぎちゃんに聞けば、続きがあるんやね、パート3。はやく見たいぞ、それまで生き延びるぞ、イエイ。
追記:
もうティーザーでてるじゃん。これね:
https://www.youtube.com/watch?v=MichzKFKNzA
よくリンチの『デューン』と比べられている。リンチ版もきらいじゃない。あれはあれで名シーンがある。衣装や美術も抜群だった。でも砂漠が違うんだよな。ビルヌーブ版には砂漠がある。砂丘がうねる。まさにデューン、砂の惑星。
ヨルダンのロケだと思うけど抜群によい。風景が良い映画は浸ることができる。良い椅子と良い音楽。最高の娯楽だ。
そして水。水が砂漠の水らしい水として登場するのは大事。小説でも、水については微に入り細を穿つ描写があった。あれを映像でうるさくならず、最小限のセリフだけで表現してくれるのがよい。
たとえば死者の埋葬。死体から水を抜き取る描写。仲間の水は神聖な湖に返し、敵の水は冷却液として利用するという、ああいうディテールは大切。
サンドウォームの幼虫もよかったな。生命の水は、サンドウォームから採られるというのが、あの砂のプールと水のプールを巫女が往復することで、教えてくれる描写。いいじゃん。
それからリンチ版ではスティングが演じたハルコンネン男爵の若き甥を、オースティン・バトラーが実に見事に演じてくれている。ビルヌーブの演出も良い。闘技場までの描写があったからこそ、あのラストが盛り上がる。
権力と宗教と、女と魔術。女だけが耐えられる毒をの苦しいを堪える男がシャラメのムアディブ、あるいは預言者を否定しながら引き受ける男。そこには、あきらかにイスラムのイメージがあり、キリスト教そしてローマ帝国の崩壊と再生の物語が語られながら、その中心に預言者が置かれる。
どうしたってぼくらは、今、ウクライナとガザ(そして他の場所でお)戦われている戦いと、正当防衛という名で犯されている虐殺を思い出さずにはいられない。
映画の虐殺や爆撃はどうやったってかなわない。ただひとつ、この暴力を超えるのが、砂漠の砂丘のうねりと砂嵐なのかもしれない。
砂漠には壊すべき体がない。体がなくても体のあるものを圧倒する。圧倒しながらも、ときに体を迎え入れ、まったくあたらしい場所へと導く砂漠と砂丘。デューン、砂の惑星。
パート3の完結を見届けるまで3年弱。そのころには年金がもらえる歳になる。ぼくは違う場所に立っているはずだ。でもその場所に、ちょっと楽しみが増えた気分だ。うれしいぜ。