YasujiOshiba

豹/ジャガーのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

豹/ジャガー(1968年製作の映画)
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U次レンタル。24-57。原題は「Il mercenario」(傭兵)。その傭兵セルゲイ・コワルスキーまたは「ポラッコ」を演じるのがフランコ・ネロで、敵役が傭兵が巻毛のリッチョロことジャック・パランス。

かたやポーランド、かたやアメリカからきた傭兵のふたりは、いわば資本主義的な合理主義の権化。大切なのは金。でも徹底的にクールなのはポラッコで、クールそうだけど復讐心に駆り立てられるのがリッチョロ。なにせポラッコに裸にされて道端に放りだされる辱めを受けるわけだから、腹も立つはずよね。このあたり、アメリカ的な資本主義への皮肉が効いているところ。

話の中心はメキシコ人のパコ・ロマン。親父も炭鉱で死に、兄も炭鉱で死んだから、自分は革命をやるんだという、いわば正当な革命家。勢いはあるけれど、あたまがよくない。だからポラッコに助けてもらう。義理と人情じゃ助けてくれない。金を払わなきゃダメという設定がみごと。

おっともうひとり大切なのがコロンバ。父は革命をめざして縛り首。じぶんも刑務所に入れられていたのだけれど、パコの一団に解放されて仲間入り。でも女としてはウブという設定も楽しい。コロンバだからね、鳩ちゃんだよね、平和の象徴。ドンパチやる革命側にコロンバが飛んでくるということよね。

ものがたりは闘牛場での道化芝居からのフラッシュバック、もちろんラストは同じ場所に戻る。そこで起こる決闘の因縁をぐるりと描いてくれる物語は、資本の論理で動くポラッコと組みながら、革命とはなにかを次第に理解してゆくパコが、こんどはポラッコに革命の夢を語って、ついには夢でこの資本主義の権化を動かしてしまうという仕掛け。

ラスト、ポラッコが資本の側にパコを誘う。いっしょに傭兵をやろう。儲けようじゃないか。パコが答える、お前といっしょだとめちゃ楽しいだろうな。でもよ、おいらの革命はここメキシコにあるんだよ。さらばだ。アディオス。

するとボラッコが言う。
「ひとりじゃむつかしくなるぞ」(Ci sarà difficile da solo.)
「かもな。でもおれにはお前が持ってないものがある。夢があるんだよ、ポラッコ。おまえ、夢を持ったことがあるか?」(Può darsi. Ma io ho qualcosa che tu non hai mai avuto. Io ho un sogno, Polacco. Tu l'hai mai avuto un sogno?)

この言葉にポラッコは少し下をむく。夢なんてない。追うのは金だけ。裸足で裸馬に乗ったパコが走り出す。モリコーネの音楽が高鳴る。ところが、崖の上にはメキシコの追跡隊が銃を構えてパコに狙いをつけている。次の瞬間、銃声が響き渡り、メキシコ兵が崖を転がり落ちる。ポラッコが倒してくれたのだ。彼を見上げるパコに、ポラッコが言う。

「夢見ろ、パコ。夢を見続けるんだぞ。ただし、夢は目を開けて見るんだ」(Sogna, Paco. Continua a sognare. Ma sogna ad occhi aperti!)

ニヤリと笑うパコ。その笑いを受け止めると、踵をかえして走り出すポラッコ。モリコーネのテーマ曲が鳴り響く。最高じゃん。

1960年代末、まさに革命の時代にふさわしいスパゲッティウエスタン。原案はフランコ・ソリナスとジョルジョ・アルローリオ。もともとはジッロ・ポンテコルヴォのための企画でピーター・オトゥール、バート・ランカスターのキャスティングだったが、シドニー・ポワチエを起用して舞台をアフリカに移そうとしたらしい。ところが、ポンテコルヴォがウェスタンは好みじゃないと辞退。そこでコルブッチの起用ということになったようだ。

 こうしてフランコ・ネロが起用され、相手役に考えられたジェームズ・コバーンが降りたのでジャック・パランスになったらしい。いやでも、パランスでよかったんじゃない。コバーンを裸にしちゃうより、パランスのほうがぜったいよい。あれ、もしかするとパランスだから裸にしちまったのかもね。

 メキシコの革命家パコを演じたトニー・ムサンテはアメリカ人だけどイタリア系。いい男だし、ジョヴァンナ・ラッリとお似合いでよい。でもこの役、イーライ・ウォラックにも話が言っていたらしい。そりゃまあ、わからないではないけれど、ウォラックだと違う映画になっていただろうな。
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