ナガエ

リアル・ペイン〜心の旅〜のナガエのレビュー・感想・評価

リアル・ペイン〜心の旅〜(2024年製作の映画)
-
これはなかなか面白い物語だった。

その面白さのほとんどは、主人公の1人であるベンジーのキャラクターにあると言っていいだろう。実に魅力的なのだ。

それは、「観客の目から観て魅力的」というだけの話ではない。実際にベンジーは、周りにいる人を惹きつけてしまうのだ。まあ軋轢めいたものを生み出すこととままあるのだが、しかし最終的には、誰もが(とはいかないかもしれないが)ベンジーのこと好きになってしまう。

その一方で、ベンジーはある種のややこしさを抱えてもいる。そのややこしさが何なのか、しばらくの間はっきりとは見えてこない。ただ、「どうやら彼には大変なことが起こったみたいだ」ということが分かるだけである。恐らく、客観的に見える「ベンジーの陽気さ」とは裏腹に、ベンジーには何か秘めたものがあるようなのだ。

そんなベンジーを心配して(当分の間、心配している理由は不明だが)、いとこであるデヴィッドが彼を旅行に連れ出す所から物語が始まる。どうやら仕事をしていないらしいベンジーとは違い、デヴィッドは忙しく働いているようだし、妻子もいる。しかしベンジーのために1週間の休暇を取り、あるツアーに申し込んだのだ。

それが、ホロコースト・ツアーである。

彼らはアメリカに住んでいるが、元々はポーランド出身のユダヤ人で、彼らが愛してやまなかったドリーおばあちゃんは、強制収容所から奇跡的に生還を果たした。そんな祖母がつい最近亡くなったこともあり、ホロコースト・ツアーの最終日だけ一向から離脱して、生前の祖母が最後に住んでいた家を訪れようという計画だ。

しかし、久々に会ったベンジーは、やはり自由気ままで、凄く真っ当で、時に凄くハチャメチャだった。やはりツアーメンバーも、全員とは言わないまでも早い段階でかなりの人を惹きつけ、人付き合いが決して得意じゃないデヴィッドをよそ目に、すぐにみんなと仲良くなっていく。

そんな2人の、「ポーランドにおけるユダヤ人虐殺の歴史探訪」をベースにした珍道中である。

映画を観ながらずっと、「ベンジーの、凄くまともなんだけどまともじゃない言動」に結構惹きつけられていた。

例えばこんな場面。ポーランドへ向かう飛行機の中で、ベンジーとデヴィッドが話をしている。どんな話をしていたのか忘れてしまったが、デヴィッドがベンジーに色々質問をしていたような気がする。で、そんなやり取りをしている内に、キャビンアテンダントの説明が始まった。たぶん、救命胴衣の着方とか、そんな感じだろう。デヴィッドは別に聞くつもりはなかったし、それは同じ機内に乗っている他の乗客も同じだったと思うが、ベンジーは「ちゃんと聞かないと。あの人、仕事中だよ」とデヴィッドを嗜めるのだ。初めは、デヴィッドからの追及を交わすための方便かとも思ったのだが、どうもそんな雰囲気ではなかった。

別の場面でもこんなことがあった。ツアー参加者の中に、長年連れ添った夫が突然いなくなったという女性がいる。ベンジーは、ツアーの最初の頃独りでいることが多かった彼女に積極的に話しかけ、仲良くなる。そして昼食の間、デヴィッドに聞かれる形で、彼女から聞いた「離婚した元夫」や「今の恋人」の話をするのだが、デヴィッドが少し踏み込んだ質問をすると、「彼女に隠れて話すべきじゃない」と拒否するのである。デヴィッドとしては、自分たち2人だけの会話だし、2人の会話が聞こえる範囲に誰かいるわけじゃないし、別にいいんじゃないかと思っているのだが、ベンジーはよくないことだと判断するのである。

さらに極め付きはこれだろう。このツアーには当然ながらガイドがいて、彼はポーランド国内のユダヤ人に関する観光名所を一通り巡りながら、その場所その場所で解説を加えていく。そしてその1つとして、アメリカよりもシェイクスピアよりも古くからあるというユダヤ人の墓地を訪れ、そこで、最近ユダヤ教に改宗したという、ルワンダ虐殺を生き延びた男性とある墓についての知識で盛り上がっていた。

そこに、ベンジーが割って入る。ベンジーの主張はこうだ。このツアーはとても好きだが、しかし知識や数字など事実の羅列は冷たく感じられる。っていうか、観光名所を巡ってばかりで、ポーランドの人と触れ合ったりする機会もないじゃないか。事実の説明は、もう少し控えめにしてくれないか、と。

先に紹介した2つはデヴィッドとのやり取りなのでデヴィッドさえ良ければいいのだが、ツアーガイドへの物言いは違う。もしかしたら、事実や数字をもっと知りたい参加者だっているかもしれない。しかしそういうことは気にせず、ベンジーは「自分が言うべきだと感じたことははっきりと口にする」というスタンスを取っているのだ。

これが、「魅力としても伝わるし、軋轢を生みもする」という言動である。

ベンジーのキャラクターは結構「ギリギリ」という感じがして、どう「ギリギリ」かというと、「『好かれる』と『嫌われる』のギリギリ」だ。受け取る側の価値観とかその日の気分とか、そういうちょっとしたことで針がふっとどちらかに触れてしまうぐらい、境界線上にある振る舞いに感じられる。そしてそんなかなり難しいだろう役を、俳優(キーラン・カルキンと言うらしい)がまあ見事に演じている。力の入れ加減を間違えたら、すぐにどっちか(「好かれる」か「嫌われる」)に振れてしまいそうなラインを絶妙に守りながら、最後の最後まで「謎の魅力」を放つ存在として作中に存在し続けた。彼の演技1つで本作が成立するかどうかが決まると言ってもいいと思うので、本当に重要な役だし、それを見事に演じきったなと思う。

あと個人的には、「よくこのストーリーで映画にしようと思ったな」と感じた。本作を実際に観れば、ベンジーの魅力によって全然観れる作品に仕上がっていると感じるだろうが、脚本だけ抜き出してみたら、「40代の男2人がホロコースト・ツアーに参加している」という以上のストーリーはない。もちろんその過程で、ツアーメンバーとの交流や、デヴィッドとベンジーの関係性の変化など、細々したことは描かれるのだが、その1つ1つは正直、「物語として提示するほどか?」と感じさせるものではないかと思う。

それに、ラストに向けて物語が盛り上がったりも特にしない。物語の最初と最後で何かが大きく変わっていたりすることもないし、大きな余韻を観客に投げつけたりもしないのだ。だから本当に、よくもまあこの脚本で映画が面白くなると思えたものだと思う。キーラン・カルキンの演技に全期待を乗せていた、みたいなことだろうか。

さて、盛り上がりという意味でいうと、デヴィッドが思いがけず胸の内をさらけ出す場面が最も盛り上がった場面と言えるかもしれない。ベンジーに対する複雑に過ぎる感情を、ちょうどベンジーだけが席を外しているタイミングでツアーメンバに告白するのだが、その訴えがなかなか切実で、「あぁ、分かる気もするなぁ」と感じた。

個人的には特に、「殺してやりたいと思う時もある。でも、あいつになりたい」というセリフにすべてが詰まっているような感じがした。これ以上ないほど「相反する感情」と言えるだろうし、そういう存在が近くにいるということの豊かさやしんどさみたいなものが、本作全体で表現されているような気がした。

ベンジーの存在感が嘘っぽく見えてしまったら絶対に成立しない作品で、しかしベンジーはリアルな存在として提示するのがとても難しい。そんな難役をキーラン・カルキンが見事に演じきっているからこそ観れる作品に仕上がっているわけで、そういう意味で凄く挑戦的な映画だったし、観て良かったなと思う。
ナガエ

ナガエ