[フランドルの"スター・ウォーズ"は広義SF映画のカリカチュア] 80点
傑作。2024年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。ブリュノ・デュモン長編12作目。舞台はいつものブローニュ=シュル=メール、ここに一人の赤子がいる。帝国の未来を背負った"運命の子"である。この田舎の砂丘地帯に暮らす人々は徐々に宇宙人と入れ替えられ、赤子は父親役として選ばれた騎士ジョニー(人間の姿ではボロ船でロブスターを獲っている)以下白馬の騎士団が守っている。彼らは宮殿型宇宙船で指示を出すベルゼビュス(恐ろしいくらいノリノリのファブリス・ルキーニ)の手下であり、悪意を以て人間を堕落させることで地球を征服しようとしていた。一方で、聖堂型宇宙船で指示を出すクイーンの手下たちも地球に潜入し、人間を育て向上させることで地球を支配しようとしており、厄介な"運命の子"を排除しようとしていた。というように、善と悪、聖堂=聖と宮殿=俗、0と1など、とにかく二項対立を極化させている。他にも、いかにも無理矢理考えた"宇宙人が地球で戦う理由"やジョニーの心に火を付けるためだけに冒頭で意味もなく惨殺される妻="冷蔵庫の中の女"、人類にはまだ作れなさそうな武器(明らかにライトセーバーな武器が登場)、やたら薄着な女性キャラクターたち、唐突に恋愛関係になる敵同士の男女と謎の三角関係など、広義SF映画映画のカリカチュアが多く放り込まれている。こちらも極化されているため、物語そのものは概念的で退屈なのだが、そういった単調さ/退屈さ/くだらなさは監督の意図したところだろう。この作品から滲み出る形容し難い近寄り難さには、監督の過去作『フランドル』を思い出した。登場人物全員が概念みたいで、極端に人間味が薄かったあの作品を。また、舞台が同じ場所ということもあってか事件の捜査は『プティ・カンカン』シリーズでお馴染みのポンコツ憲兵隊二人が担当しており、その意味では同シリーズの世界観と接続されている。この二人は一見して人間サイド(つまり宇宙人ではない)ことが確定するという意味で、善悪それぞれの宇宙人が人間を依代としたことで人間性とはなにかを問うのとは反対に、漫然と人間として生きている側の代表といったところか。
元々はアデル・エネルが出演していたようだが、"性差別的/人種差別的でキャンセルカルチャーと性暴力に関するジョークに満ちていた"脚本を何度指摘しても書き換えなかったことを理由に降板し、それがフランス映画業界全体に蔓延しているとして映画界からも去ってしまった。デュモンは公開にあたって一応の反論はしているが、論点がズレているので概ねエネルの指摘通りなのだろう。上記の通り、半分くらいはカリカチュアを意図してのこととは思うが、『フランドル』同様に眉を顰めたくなるシーンも結構あった。