[女優マリア・シュナイダーの前半生] 60点
Jessica Palud長編二作目。マリア・シュナイダーは俳優だったダニエル・ジュランとルーマニア出身のモデルで書店を経営するマリー=クリスティーヌ・シュナイダーの娘としてパリで生まれた(だからルーマニア出身のアナマリア・ヴァルトロメイが演じているのか)。しかし、ジュランは当時別の女性と結婚していたため、マリアを認知することも養育費を出すこともなかった。映画の冒頭ではマリアがそんな父親と連絡を取り、彼の撮影現場を訪れる場面から始まる。金も愛もかけずに育った娘が懐いてくれているのが嬉しいジュランは彼女を映画業界に招き入れる。ある時、若き天才監督として名の知れていたベルナルド・ベルトルッチに、マリアをマーロン・ブランドの相手役に起用したいと言われたマリアは、ほぼ全裸でいる脚本に疑問を持ちながらも出演を決意する。特権を享受する男たちの様々な側面をベルトルッチ、ブランド、ジュランで描き分けているのが非常に上手い。何も知らない素人同然のマリアを言葉巧みに搾取し、"即興で撮影されたシーンってのは最高のものになることも多い"と抜かすベルトルッチ、彼よりはマリアに優しく接しながらも結局は"これはただの映画さ…"と言って加担するブランド、"たった一回で有名になれたんだからコスパ最強じゃんww"と抜かすジュラン、である。ミシェル叔父さん以外の男は全員カスです(登場はしないけどアントニオーニとリヴェットの現場は楽しかったと言及あり)。中盤で、彼女の下にインタビューに来た女学生ヌールと恋人になり、ヘロイン中毒で大変な時期を支えてもらったという描写があるんだが、現実にもそういう人いたんだろうか?お願いだから居てくれ…と思うなど(何人かを寄せ集めた感じと想像)。とはいえ、生涯に渡ってマリアを苦しめたレイプシーンをそのまま再現して"復活"させてしまうのもなんだか違う気がするなあ。撮影直後くらいから始めても良かったのでは。あと、アナマリア・ヴァルトロメイは今年、ブリュノ・デュモン『The Empire』にも出演しており、こちらは徹底的に役者の個人性が奪われて概念化していくという作品で、脚本が性差別的としてアデル・エネルが降板したという話もあり、監督が意図したものとはいえ実際にそうなっていたので、本作品をどういう感情で観れば良いのか分からなかった。