【黒沢清、陰謀論の本質に迫る】
6月はコロナに罹ったおかげですっかり黒沢清リメイク版『蛇の道』に対するモチベーションが下がってしまい、スルーする予定だったのだが、試写で『Cloud クラウド』を観て、あまりの面白さと黒沢清の本質に迫れそうな気がしたので急遽『蛇の道』を観ることにした。結論から言うと、いつも通りそんなにハマらない黒沢清映画だったのだが、彼特有のフィクションとしてのツッコミどころの裏に隠す本質の部分が見える作品であった。
話はシンプル。娘を失ったアルベール・バシュレが日本人の精神科医・新島小夜子と共にターゲットを誘拐し、娘を殺した犯人に迫っていくといったもの。
ふたりがターゲットに忍び寄り、連係プレイで気絶させ、袋に詰め、廃墟にて拷問にかけながら次のターゲットを見つけていく反復が描かれていく。徐々に黒幕が見えてくるわけだが、段々と論理の跳躍が見受けられる。そして、『ヴィデオドローム』のようにモニターの向こう側の現実離れした世界へと迷い込む。
本作は児童売買が絡んでいることからも分かる通り、陰謀論の映画として作られている。殺人は悪いことだし、児童売買も良くない。しかしその悪を追う過程で論理の跳躍が行われ歪んだ真実の世界に迷い込んでしまう。ここにフォーカスが当たっているのだ。重要なのは、狼狽するアルベールに対して冷徹な眼差しを向け続ける新島もまた陰謀に取り込まれているところにある。西島秀俊とのやり取り、そして突然、PCモニターに映る夫(?)にある決めつけを行う。物語としての跳躍が見受けられ、映画としては点から点へと黒幕を繋いでいるのに、論理の切れ目が見える。これぞ陰謀論の本質だと黒沢清は語っているように思える。
一方で、ブラウン管のテレビが薄型液晶テレビに変わっていることに対する違和感、そして話題だったルンバシーンが思いのほか映えておらず、確かにアップデートされた映画になっているものの元バージョンに及ばないなと感じた。