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バーン・アフター・リーディングのkuuのレビュー・感想・評価

3.6
『バーン・アフター・リーディング』
原題 Burn After Reading.
映倫区分 PG12
製作年 2008年。上映時間 96分。

『ノーカントリー』でアカデミー賞作品賞ほか主要3部門などを受賞したジョエル、イーサン・コーエン兄弟が放つクライム・コメディー(コーエン兄弟は、『ノーカントリー』の脚本を書きながら、本作の脚本も書いたそう。また、彼らは通常、それぞれの脚本を1日おきに交互に書いていたそうです)。
CIAの機密情報が書き込まれた一枚のCD-ROMをめぐり、さまざまな人々が衝撃の結末へと突き進んでいく。
出演は『オーシャンズ』シリーズのジョージ・クルーニー、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』のブラッド・ピットら。
演じる俳優をそれぞれ想定して書かれたという個性豊かなキャラたちと、彼らがたどる運命の行方に注目。
毒舌リンダ・リツキ役のフランシス・マクドーマンドは実生活でジョエル・コーエンの妻。

CIAの機密情報が書き込まれた1枚のCD-ROMを、勤務先のフィットネスセンターで拾ったチャド(ブラッド・ピット)とリンダ(フランシス・マクドーマンド)。
そのころ、元CIA諜報員のオズボーン(ジョン・マルコヴィッチ)は、機密情報の紛失にうろたえていた。
一方、オズボーンの妻ケイティ(ティルダ・スウィントン)は、財務省連邦保安官ハリー(ジョージ・クルーニー)と不倫中で。。。

今や悪名高いコーエン兄弟はたくさんの映画を撮っていますが、彼らは世の中の人々もたくさんの映画を見ていることを知っています。
常に映画を見て気を紛らわせている人々は、世界を実にドラマチックに見るように仕向けられている。
フィットネスクラブの女子用ロッカールームでコンピュータのディスクを見つけるのは、普通なら忘れ物を落し物箱にブチ込んで、二度と戻ってくることはない。
しかし、小生は映画を見過ぎていて、自分自身の小さな人生に大したことがないと感じてるし、このディスクを見つけることは、そのディスクの持ち主にCIAの最高機密と思われる内容を脅迫する機会やと何ら驚かなかった。
今作品では、コーエン夫妻は少し楽しむ時が来たと判断し、映画の影響を強調すると同時にそれをさらに永続させる、お得意のコメディをたっぷりと提供してあ。
今作品は、轟音とパーカッションの重厚なスコアと、我々が故郷と呼ぶこの惑星のあまりにも見慣れたオープニングショットで始まる。
ゆっくりと、しかし執拗に、世界観はより焦点化され、下降するにつれて、ワシントンの街に照準を合わせていく。
まるでコンピュータで読み上げるかのように、デジタル処理されたタイトルがスクリーンに映し出され、イカれたコーエンズは、どないなスーパースパイ映画を作ったのだろうか、そう思いながら、彼らの思惑にまんまと乗せられちまった。
人前で話す姿からは想像できないが、コーエンズは大のジョーク好きで、観客を翻弄するのが好きなんやろな。
観客をある方向に向かわせたかと思うと、まったく別の方向に向かわせる。
まるで笑っているように見えることもあるが、本当は、自分たちが楽しんでいるように、観てる側にも楽しんでほしいと思っているって感じる。
ほんで、その楽しみは今作品でも味わうことができる。
今作品の前年の『ノーカントリー』でサスペンスドラマを完成させた兄弟は、より馴染みのある分野に戻り、鋭さと痛々しさを保ちつつも完全にオフビートな残念さを表現している。
しかし、今作品をコーエンの真骨頂として確固たるものにしているのは、一流のアンサンブルなんちゃうかな。
ジョージ・クルーニーやフランシス・マクドーマンドといった常連俳優が、ネット上で自分を偽りながら互いを見出す、とりわけ風変わりな2人を演じていた。
ティルダ・スウィントンとジョン・マルコヴィッチは、離婚寸前の夫婦。
二人とも、冷徹で狂気じみた性格で、演技力も高かったし、リチャード・ジェンキンスは、自己顕示欲の強い控えめな演技でした。
これらの演技はどれも巧みで、とても楽しく誇張されているが、中でも個人的にはブラッド・ピットが最も輝いているって感じた。
何故なら、彼が全く馬鹿げているという単純な理由からです。
ピットが演じるチャド・フェルドハイマーは、おそらくエンドルフィンで何周も走り続けてきたフィットネストレーナーで、今作品で唯一自分を偽っていない人物。
これは、彼のキャラが変装できるほど賢くないことと関係があるかもしれへんけど、ピット自身は十二分に有能やった。
ピットを見ていることを忘れることはないが、だからこそ、ヘッドフォンの音楽に合わせて跳ね回る彼の奔放さが、とても可笑しいし可愛かった。
タイトルとは裏腹に、映画のどの場面でも、実際に燃やされるものはない。
しかし、その行為自体がドラマチックであるため、映画名をこうすることで意図されたトーンを本質的に告知しているんやろな。
今作品は、その約束を間違いなく果たし、それを楽しんでいる。
コーエン兄弟は、ハリウッドで最も有名な2人の映画監督としてその座に君臨してる。
撮影監督を長年の協力者であるリチャード・デイキンスではなく、エマニュエル・ルベツキに交代しても、一分の隙もないコーエン節が炸裂してた。
まるで、眠っている間にすべてをやり遂げたかのよう。
これこそ、とんでもない夢であり、奇天烈映画と云える。
ただ、現実との違いを見極めなければならないけど。。。
kuu

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