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Ari(原題)
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『Ari(原題)』に投稿された感想・評価

Omizu
1.0
【第75回ベルリン映画祭 コンペティション部門出品】
『若い女』レオノール・セライユ監督作品。ベルリン映画祭コンペに出品された。

これはヒドい。撮り方とか演出について言うつもりはないが、とにかく脚本がヒドすぎる。先生としての自信をなくした男が色んな人に慰めてもらおうとする話で、一体何を見せられてんの?と不快感すら感じた。

まず冒頭の授業シーン、あんな話題で子どもたちの気が引けるわけないし、全く彼らをコントロールできていない。それでメンタルダウンしましたとか言われても「そりゃそうだろうね」としか言えない。

主人公のアリがとにかく幼稚。自分を慰めてくれず正論を突きつけられると逆ギレ、挙げ句の果てにお父さんのベッドに潜り込む。何コイツ。落ち込んでいるのは分かるけど気持ち悪すぎる。

幼稚な主人公が人と会うだけの過程を見せられてもつまらないことこの上ないし、不快になっただけ。アリを客観視するでもなく共感を求めるような演出もちょっとどうかと…

『若い女』はみていないので分からないけど、この水準の作品がコンペに入ってしまった今年のベルリン、相当ヤバいのでは?と思わずにはいられない。
[幼稚な男が自分と向き合うナイーブな映画] 10点

2025年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。レオノール・セライユ長編三作目。初長編『若い女』がカメラドール、長編二作目『Mother and Son』がコンペ選出とカンヌっ子だったセライユの新作がベルリンに登場ということで、これも新PDのおかげなのか…?物語は27歳の小学校教師見習いアリ青年の日常を追っている。冒頭では彼の授業実習が行われるが、子供の前で詩の小難しい話を始めて、子供は制御不能になり、監督官には呆れられてしまう。そして、アリはその場で倒れてしまった。もう無理!仕事辞める!と言って父親と衝突し、実家を飛び出して旧友たちの家を転々とし始める云々。27歳にしては子供っぽい人物として描かれており、遠い昔に亡くなった母親の影を未だに引きずっているような描写がなされている。眠れないから一緒に寝ようよ~と父親の寝室に入り込むシーンとか、幼稚過ぎてゾッとした。一昔前ならヴァンサン・マケーニュが演じてそうなキャラクターだが、十数年で同時代を生きる"情けない青年"像はここまで劣化するんか…と正直怖くなった。彼は旧友たちの家を訪れ、それぞれパートナーや子供がいたり、やりたい仕事を出来ていたり出来ていなかったりと境遇は様々あれど、アリの苦悩と近い部分もあって、アリは子供時代を懐かしむようにじゃれ合う。彼は数年前に恋人イレーヌが妊娠したのをきっかけに捨てた経験があるようで、友人たちには度々指摘されているが、最終的に彼女と向き合う勇気を得て、彼女に会いに行く。このシーンもイレーヌが結構甘々で彼の宙ぶらりんな態度を許してしまう。なにかアリの中に決定的な変化が見えないまま明るい未来が外部から訪れるという、アリの存在そのものに似たナイーブさが映画自体に感染していたように思える。
1.0
【「俺の話を聴けい!」と三島由紀夫モードとなり児童が困惑】
第75回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に選出されたレオノール・セライユ『Ari』を観た。あらすじを読む限り『若い女』の男女入れ替えバージョンといった印象を受けたものの、実際に観ると想像以上に主人公がどうかしていて大草原不可避であった。

小学校教師になりたてのアリは授業審査を受ける。しかし、低学年には高尚過ぎる、全くニーズを満たしていない授業を行い、児童は困惑どころか無視し始める。監視員も呆れた顔で仲裁に入るも制御不能となり、アリはパニック障害を引き起こす。家にも居場所がなくなった彼は学校から逃げ出し、家からも逃げるように自分の痛みを癒していく存在を探しに行く。

やっていることは『若い女』と同じであり、日本とは違いネットカフェみたいなシェルターがなく、他者領域を侵害しながら実存の依存先を見出そうとする痛々しさを辛辣に描いていたわけだが、『若い女』にあったコミカルさは漂白され、いい年した大人のクソ雑魚メンタルにドン引きする内容となっている。中学時代、学級崩壊し地理と化学の授業がなくなった身からするとあれは学級崩壊といえない。「ざぁ~こ♡ざぁ~こ♡」と煽られたり、暴力に晒されているわけではなく、児童が困惑しているだけなのに、「俺の話を聴けい!」と三島由紀夫モードに入り勝手に自爆しているだけなのだ。

そして他者がひたすら存在せず、自己の避雷針を求める依存先を見つけては他者領域を侵害する。この青年がおじになったら、やたらとXでDM送ってくる、どうでもいい自分語りや相談をしてくるダルい奴になるパターンじゃんとひたすら嫌悪を抱いた。

恐らく男性における「強くならねばいけない」といったマチズモに抑圧された存在へ手を差し伸べるタイプなんだろうとは思いつつも、流石にこれは他者が可哀想だと思った。