傑作。2025年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。ラドゥ・ジュデ長編11作目。最新作『Dracula Park』を製作中としつつ別の新作をヌルっとベルリンのコンペに入れてくるあたりが最高にジュデっぽいし、それで脚本賞をヌルっと取ってしまうのも最高にジュデっぽい。物語はトランシルヴァニア最大の都市クルジュ=ナポカを舞台に、ハンガリー系の執行官オルソリャが、解体予定の古風なビルのメンテナンス室で勝手に寝泊まりしているホームレスの男ヨンに立ち退き最終勧告を出したところ、目を話した隙に自殺されてしまい、モラルの危機が訪れるというもの。彼女は月に40ユーロを様々な団体に寄付するような良心的な人物で、立ち退きも何度か通知しシェルター紹介も断られた末の強制退去であり、彼が亡くなったことについては法的に全く責任がない状態だが、彼女はこの男の死を悲しみ、三人の知り合いの下を訪れて悩みをブチ撒ける(『クリスマス・キャロル』かな?)。また、ヨンはかつて活躍したルーマニア系の体操選手だったということもあって、トランシルヴァニアに燻るハンガリー系とルーマニア系の対立まで引き起こし、更にオルソリャを悩ませる(クリスティアン・ムンジウ『R.M.N.』を思い出した)。題名"Kontinental '25"のうち、"Kontinental"はヨンが亡くなったビルの跡地に建つ予定だった欧州系企業の作る高級ホテルの名前であり、続く"'25"は本作品のインスピレーションの源となったロベルト・ロッセリーニ『ヨーロッパ一九五一年 (Europe '51)』から来ている。同作において、イングリッド・バーグマン演じる裕福な主人公は、実際に工場で労働したり貧民の生活を足で見に行ったりと行動力の伴う人物として描かれていたが、本作品のオルソリャは口では彼らを助けたいと言って格差や差別を嘆くものの、それ以上の具体的な行動は伴わないまま足踏みしているように見える。彼女と似たような境遇の女友達ドリナとの会話では、ドリナの家の近くにホームレスがいたという話になり、冬はあまりにも寒そうで夏はウンコの臭いがキツいを語り、"死んでほしくはないが邪魔だ"とか"彼を『Perfect Days』のヒラヤマと呼ぼう"とかひとしきり文句を言った後、ロマの家族が過酷な環境に暮らしていることに心を痛めて資金援助している話を始め、その口でブレヒトの"The more innocent they are, the more they deserve to be shot."を引用するという、実にジュデらしい意地悪い会話も登場。まさに"行動したフリをする人"同士の傷の舐めあいというか、この感覚こそが最もジュデの指摘したい部分なのではないか。ハッシュタグに乗っかるだけで満足してないか?と。
撮影が映画館に貼ってあるポスター(10/11公開の『Three Kilometres to the End of the World』と10/18公開の『We Live in Time』)から察するに大統領選挙直前の10月っぽく、おそらく他のコンペ作品では最も直近まで撮影していた作品なのではないか。しかも、カメラはiPhone 15 Proで撮ったらしく、オートフォーカスのまま固定して放置している影響で、被写体が動くとピントも動いて画角が揺れまくってた。本作品自体が、彼の崇拝するTikTokや作中にも登場したドローンの映像と似た、ある種のバイラルな効果を狙っているのか。いずれにせよこのフッ軽さですよ、その点は誰も勝てないっすよ。