傑作。2025年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。Huo Meng長編二作目。前作『Crossing the Border』で注目されていたらしく、長編二作目にしてコンペ選出となった。物語はチュアンという10歳の少年を視点人物とし、1991年の冬から1992年の冬までの1年間を描いている。彼の両親は都会に出稼ぎに行っており、彼は祖母や曾祖母たちに囲まれながら、年の近い叔母シウインに世話されて生活していた。物語は大叔母の葬式から始まり、麦の収穫、親戚の子供の誕生、シウインの結婚などを経て、再び死の匂いが色濃くなっていくという流れを季節と結びつけるというありがちな構造を採用しているが、一人っ子政策のせいで子供の誕生は必ずしもめでたい行事でもなく、シウインは都会に出たいのに若い働き手がいないことで田舎に縛り付けられた人生を送ってきた人物で結婚を一番嫌がっていたのだが、結局党幹部の親戚と結婚させられるという最悪の形(結婚式の儀式が醜悪に描かれており、チュアンはあまりの状況に吐いてしまう)に終結しており、本来なら死と対比されるスタートとなるような行事すらもマイナスの印象を以て語られている。そのため、麦や綿花の収穫というプラスの側面は、冬の荒涼とした大地のイメージに掻き消されてしまっているのが興味深い。系譜としては同じベルリン映画祭のコンペに選出された『在りし日の歌』『小さき麦の花』のような、中国農村の貧しい生活の描写に連なる作品ではあるが、本作品ではかなりストレートな共産党批判が含まれていた。よく検閲通ったなというくらいラディカルな作品だ。また、時間経過を示す編集も魅力的だ。例えば、曾祖母が固まってると思ったら生きていた→次のシーンが火葬場から始まる、というようなスリリングな時間経過の瞬間が何度か訪れたため、コンペ作品では一番の長尺ながら、物語の牽引力の面ではワン・シャオシュアイやリー・ルイジュンといったベテランたちにも比肩する。更には、題名に土地が入っていることからも分かる通り、家族と土地の関係性は非常に興味深いもので、特に冒頭の葬式は遺体を麦畑の端に埋めていて驚いた。土地が人生そのものであることを視覚化しているかのようでもあった(後に曾祖母が周辺地域から出たことがないと語り、ラストのショットでそれが回収されるのも良い)。ただ、恐らくこの地域を脱した監督の目線=チュアンの目線で描かれているためか、少し子供にしては冷めすぎた観察者に徹しているというか、どうせ最終的にはここを出るしなぁみたいな雰囲気を特に何気ない瞬間こそに感じてしまった。
【その土地に縛られて】 第75回ベルリン国際映画祭にて最優秀監督賞を受賞したMeng Huo『Living the Land』を観た。正直、『小さき麦の花』や『トゥヤーの結婚』といったベルリン映画頻出の中国映画の域を出ていない印象があったものの、2025年の東京フィルメックスや東京国際映画祭に来れそうな力強さを持った作品であった。