1966年 監督は池広一夫 眠狂四郎、座頭市でお馴染みの監督。若尾文子とのコンビは初めてのようだ。
「東京の空を雁が群れ飛んでいた時代の話」明治の初め。
上野不忍池のそばに高利貸しの妾お玉(若尾文子)が住んでいた。高利貸しの妾とは知らず、騙されて囲われの身になったのだ。
世間から冷たい仕打ちを受け、本妻に怯える毎日の中で、医学生岡田(山本学)と知り合い、いつしか思いを寄せるようになる。
つまり彼が森鴎外になるわけだと観客は納得する。
悲恋。
この境遇から抜け出して生きる道はないが
憧れはある。旦那の末造に「世の中はそんな夢のようなもんじゃないんだ。学生さんには学生さんの行く道がある、お前にはお前の道が…」
泣き崩れながらお玉は言う
「わかってます。わかってます。
でも、私だって、私だって」
若尾文子が切ない。切ない若尾文子が愛おしい。
この時代、悲恋に泣いたものは多かったろう。
劇中、岡田の友人の話にイプセンの「人形の家」の話がある。「人妻のノラは自立するため最後は家を出るが、あれは西洋の話、今の日本で家を出て暮らせる女はいない」
これがお玉の境遇なのだ。
若尾文子の観たいと思っていた作品も残りわずかになった。
「刺青」がこれまでの若尾文子作品の中でその魅力が一番出ていると書いたが、それに劣らずこの作品は魅力的だ。
演技に無理がなく、抑えて演技している。それがまたいい。こんな若尾文子もいい。
この映画のカメラマンは若尾文子を綺麗に撮ってないとの評価もあるようだが、私には充分美しく見えた。派手さはないが、それは作品の狙いのようだし、ストーリーもそんなに派手さは必要ない。
妾としての色香もほとんど見えないが、テーマが純愛だなだけにこの程度でいいのではないか。
この「雁」は、豊田四郎監督、高峰秀子主演の作(1953年)が先にある。
評判の作品のようで、それに比べると平板な作品になっているとの評価もある。
言われてみると確かにその印象だが、私は結構いい作品だと思った。
2022.11.30視聴-526