Dracula(原題)を配信している動画配信サービス

『Dracula(原題)』の
動画配信サービス情報をご紹介!視聴する方法はある?

Dracula(原題)
動画配信は2025年9月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
本ページには動画配信サービスのプロモーションが含まれています。
目次

Dracula(原題)が配信されているサービス一覧

『Dracula(原題)』が配信されているサービスは見つかりませんでした。

Dracula(原題)が配信されていないサービス一覧

Prime Video
U-NEXT
DMM TV
Rakuten TV
FOD
TELASA
Lemino
ABEMA
dアニメストア
Hulu
Netflix
JAIHO
ザ・シネマメンバーズ
WOWOWオンデマンド
アニメタイムズ
Roadstead
J:COM STREAM
TSUTAYA DISCAS

『Dracula(原題)』に投稿された感想・評価

[ドラキュラ的イメージを解体検証する] 70点

2025年ロカルノ映画祭コンペティション部門選出作品。ラドゥ・ジュデ長編12作目。金熊受賞の『アンラッキー・セックス…』に資金を出し渋ったプロデューサーたちに"もし私がドラキュラ映画作ったら出してくれんの?"と尋ねたことから企画がスタートしたという本作品がついにロカルノに登場。上映時間は劇映画では歴代最長の178分であり、この長さでいつもの100倍滑ってるナンセンスギャグを詰めるだけ詰め込んだ豪華仕様となっている(死ぬかと思った)。冒頭からいきなりAI生成の様々なドラキュラが"俺はドラキュラだ!俺のチンポをしゃぶれ!"と言うシーンで幕を開け、続いてドラキュラ映画製作を引き受けたもののアイデアが浮かばないという若い映画監督が独房のような部屋から観客に向かって語り掛け、アシスタントAIに14の物語を書かせ映像化していく。それらの14の断章を緩く繋ぎ合わせるのが、とあるレストランで開かれる体験型エロティック・ミュージカルの演者たちの物語である。登場するのはジョナサン、ミナ、ドラキュラだけで、ショウのパートの合間はミナとドラキュラをセックス目的で"購入"可能で、街に逃げ出したミナとドラキュラを観客が捕まえるという体験でショウはクライマックスを迎える、というもの。オーナーはミナとドラキュラを演じる二人を雑に扱っていて、二人は規則に反して逃げ出すことを決意する。ドラキュラと純愛を組み合わせる場合、基本的にはジョナサンとミナをカップリングさせると思うが、ここではドラキュラとミナをカップリングし、ジョナサン側を悪役にしている。ジョナサン役の青年は目がギラついている一方、ドラキュラを演じるサンドゥおじさんも元ドラキュラ症候群のくたびれたおじさんなのは、連日のショウで疲れ果てている=『ドラキュラ』の繰り返されるイメージとその搾取に関連付けられているのか。ということは、ドラキュラとミラの逃亡は、ドラキュラが自身の物語を取り戻す旅に他ならないのではないか。

14つの各章は『ドラキュラ』の様々な構成要素を分解して抜き出したような構造になっており、非常に興味深い。長生きという点、犬歯が長い点、心臓への一突きで死ぬ点などドラキュラ自身の特徴もあれば、敵味方を残虐に殺しまくった点などモデルとなったヴラド3世の話や、『ドラキュラ』登場以降の影響など、様々な要素を抜き出して検証し、茶化しまくる。Nicolae Veleaによる60年代の集団農場を舞台にした小説『Just So』を映像化した章では、ヴァンパイアが全く登場しないまま、トラック運転手の男と農業技術者の女の恋愛が20分も描かれているわけだが、ラストで女が心臓一突きで死ぬので、このシーンだけ使うために20分も茶番を見せられていることになる。ルーマニアで初めてヴァンパイアが登場した小説『Vampirul』を再現する章では、ルーマニアにおける"吸血鬼"の存在が、近代化によって信仰心が薄くなった人々に恐怖を植え付けるために人を殺す田舎の司祭として描かれている。マルクスの有名な言葉"資本主義は吸血鬼みたいなものだ"をそのまま映像化した章は、1933年のストライキとその暴力的破壊という歴史の上に現代の"ゲーム代行"業者の搾取を描いていた。ユリアン・ラードルマイヤー『Bloodsuckers』で同じことをしていたのを思い出したが、ジュデの方が馬鹿馬鹿しく直接的に描いている点で断然面白い。

本作品では積極的にAIが使用されている。脚本で使用されているのは演出なのかマジでそのまま使っているのかは謎、映像は基本的には物理的に実現できないもの(架空の生物、どうやっても撮れないアングルなど)、法律的に実現できないもの(著作権的に微妙なもの、許可が必要なもの、極度のエログロなど)、シンプルに面倒なもの(天候、パトカーなど)で使用していた。最近のAIというより数年前のグロさと違和感の方が勝っていた時代のそれという感じ。それ自体が面白かと言われると否だが、ドラキュラの国というイメージを貼り付けられた上で、観光業でお世話になっているなど、現実と虚構が混然一体となって剥離できなくなっている現状を、明らかに現実味のない映像を使うことで強調する意味があるのだろう。或いは、ネット上の意見の最大公約数を提示することで、ジュデ本人の偏見に立脚しないことを証明しているのかもしれない。その結果として、ネット上の意見を集約した結果、AIの考えるドラキュラ的イメージは、ナショナリズムや排外主義に染まった存在として描かれているのも興味深い。あと、語り部の監督が基本全部に"売れるように!"と注文を付けた結果、なんでもエログロになってしまい、最終的にエログロしか残らない謎の挿話(トウモロコシを植えたらディルドが生えてくる)が登場して爆笑した。

追記
断片を組み合わせた構造ということで、どちらかと言えばフランケンシュタインに近い、と語り部の監督は言及していた。そして、次回作はセバスチャン・スタン主演のフランケンシュタイン映画になるらしい。これまた作中で言及のあった、CIAがルーマニアに作った拷問施設の話を扱う予定とのこと。
4.0
【ラドゥ・ジューデにとっての商業映画は?】
動画版▽
https://www.youtube.com/watch?v=dychfUZka6Y

『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』『世界の終わりにはあまり期待しないで』『SLEEP#2』とTikTokやライブストリーミングの切り抜き、ビデオ会議などといった現代のメディアを映画に転用することで知られるラドゥ・ジューデ監督の新たな挑戦は生成AIである。最新作『Dracula』は前作『Kontinental'25』に引き続きiPhoneによる撮影となっているが、そこに生成AIによるアニメーションを合成した内容となっている。生成AIを使った映画は発展途上であり、明確なコンセプトがなければ炎上する傾向にある。実際に『ブルータリスト』においてハンガリー語のチューニングにAIが用いられた件が問題となったのは記憶に新しい。しかし、ラドゥ・ジューデの手にかかれば、強固な理論でもって最先端の世界を魅せてくれる。これにまたしても脱帽した。

ルーマニアといえば、ドラキュラのイメージが強い。しかし、ラドゥ・ジューデ監督によればそれは外から持ち込まれたものであった。チャウシェスク独裁政権下のルーマニアではドラキュラの神話は信じられておらず、映画やテレビでも扱われていなかった。チャウチェスク政権が崩壊してから、観光客がルーマニアに訪れて「ドラキュラを見に来た」と言われるようになってから国民はドラキュラを意識するようになったとのこと。そして、ドラキュラのモチーフはファシスト政権の選挙キャンペーンのアイコンに使われるようにもなった。人々のイメージが集積されて社会を動かしていくこの例を生成AIと繋げて語ろうとする試みが本作から読み取れる。この時点で、マシニマ映画の中で一歩抜きんでた強固なコンセプトを感じる。

まず、冒頭で生成AIに作らせた不気味なアニメーションを展開する。YouTubeで昨年頃から観られるようになった、生成AIを用いたパロディアニメのような猥雑さが映画として提示される。次に映画監督がiPad片手にドラキュラ映画の構想を架空のソフトウェア「Dr. AI Judex 0.0」によって書かせ、その内容を実写と生成AIのアニメによって再現していく。その繋ぎとしてなのか、序盤では観光客向け風俗店のチープなドラキュラパフォーマンスが挿入されていく。ラドゥ・ジューデ監督は、従来のオリエンタリズム的文化消費と生成AIによる文化消費を等価に描くことによりその本質をアイロニカルに笑い飛ばそうとしている。ここで、重要なことがふたつある。どちらもインタビューで監督が明言していることである。

ひとつ目は彼は決して生成AIアニメをバカにしているわけではないことである。彼は一貫してどのようなツールも映画制作に使えると信じて積極的に活用する立場を取っているのだ。実際に、本作の終盤ではゾンビ映画のように大量に出現したドラキュラを倒していく場面が存在する。ここでは実写でのアクションと並列に生成AIによる物理空間を無視した挙動のイメージが提示され有機的繋がりを意識させている。

ふたつ目に、彼は商業映画として本作を生み出した点にある。商業映画を作らないことで非難されたラドゥ・ジューデ監督はQ&Aで「あなたにとっての商業映画は?」と尋ねた際に「商業映画とは、アクションシーン、安っぽいユーモア、ヌード、セックス、吸血鬼、超自然現象のこと」と言われたので、本作では全力を尽くした。その結果、映画の終盤で空飛ぶペニスが襲い掛かる展開になったとのこと。これってある種、サメ映画のようなチープな作品が熱狂的に受容されている状態に近く、商業映画を突き詰めた形がまさしくコレなのである。

ちなみに、本作では生成AIにおける既存のモチーフの猥雑な複製を実写でもやってみせる場面があり、ニセモノのC-3POがイラストを召喚し、タバコをふかしながら徘徊するといったものであった。3時間近い混沌、日本で公開される確率は絶望的であるが、今後『フランケンシュタイン』も映画化するらしいので2本立てで来日してほしいものがある。

■参考資料
‘Dracula’ Radu Jude Interview(CINECCENTRIC)▽
https://cineccentric.com/2025/08/25/dracula-radu-jude-interview/

Review: Dracula(Cineuropa)▽
https://cineuropa.org/en/newsdetail/482295/