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Dracula(原題)
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『Dracula(原題)』に投稿された感想・評価

[ドラキュラ的イメージを解体検証する] 70点

2025年ロカルノ映画祭コンペティション部門選出作品。ラドゥ・ジュデ長編12作目。金熊受賞の『アンラッキー・セックス…』に資金を出し渋ったプロデューサーたちに"もし私がドラキュラ映画作ったら出してくれんの?"と尋ねたことから企画がスタートしたという本作品がついにロカルノに登場。上映時間は劇映画では歴代最長の178分であり、この長さでいつもの100倍滑ってるナンセンスギャグを詰めるだけ詰め込んだ豪華仕様となっている(死ぬかと思った)。冒頭からいきなりAI生成の様々なドラキュラが"俺はドラキュラだ!俺のチンポをしゃぶれ!"と言うシーンで幕を開け、続いてドラキュラ映画製作を引き受けたもののアイデアが浮かばないという若い映画監督が独房のような部屋から観客に向かって語り掛け、アシスタントAIに14の物語を書かせ映像化していく。それらの14の断章を緩く繋ぎ合わせるのが、とあるレストランで開かれる体験型エロティック・ミュージカルの演者たちの物語である。登場するのはジョナサン、ミナ、ドラキュラだけで、ショウのパートの合間はミナとドラキュラをセックス目的で"購入"可能で、街に逃げ出したミナとドラキュラを観客が捕まえるという体験でショウはクライマックスを迎える、というもの。オーナーはミナとドラキュラを演じる二人を雑に扱っていて、二人は規則に反して逃げ出すことを決意する。ドラキュラと純愛を組み合わせる場合、基本的にはジョナサンとミナをカップリングさせると思うが、ここではドラキュラとミナをカップリングし、ジョナサン側を悪役にしている。ジョナサン役の青年は目がギラついている一方、ドラキュラを演じるサンドゥおじさんも元ドラキュラ症候群のくたびれたおじさんなのは、連日のショウで疲れ果てている=『ドラキュラ』の繰り返されるイメージとその搾取に関連付けられているのか。ということは、ドラキュラとミラの逃亡は、ドラキュラが自身の物語を取り戻す旅に他ならないのではないか。

14つの各章は『ドラキュラ』の様々な構成要素を分解して抜き出したような構造になっており、非常に興味深い。長生きという点、犬歯が長い点、心臓への一突きで死ぬ点などドラキュラ自身の特徴もあれば、敵味方を残虐に殺しまくった点などモデルとなったヴラド3世の話や、『ドラキュラ』登場以降の影響など、様々な要素を抜き出して検証し、茶化しまくる。Nicolae Veleaによる60年代の集団農場を舞台にした小説『Just So』を映像化した章では、ヴァンパイアが全く登場しないまま、トラック運転手の男と農業技術者の女の恋愛が20分も描かれているわけだが、ラストで女が心臓一突きで死ぬので、このシーンだけ使うために20分も茶番を見せられていることになる。ルーマニアで初めてヴァンパイアが登場した小説『Vampirul』を再現する章では、ルーマニアにおける"吸血鬼"の存在が、近代化によって信仰心が薄くなった人々に恐怖を植え付けるために人を殺す田舎の司祭として描かれている。マルクスの有名な言葉"資本主義は吸血鬼みたいなものだ"をそのまま映像化した章は、1933年のストライキとその暴力的破壊という歴史の上に現代の"ゲーム代行"業者の搾取を描いていた。ユリアン・ラードルマイヤー『Bloodsuckers』で同じことをしていたのを思い出したが、ジュデの方が馬鹿馬鹿しく直接的に描いている点で断然面白い。

本作品では積極的にAIが使用されている。脚本で使用されているのは演出なのかマジでそのまま使っているのかは謎、映像は基本的には物理的に実現できないもの(架空の生物、どうやっても撮れないアングルなど)、法律的に実現できないもの(著作権的に微妙なもの、許可が必要なもの、極度のエログロなど)、シンプルに面倒なもの(天候、パトカーなど)で使用していた。最近のAIというより数年前のグロさと違和感の方が勝っていた時代のそれという感じ。それ自体が面白かと言われると否だが、ドラキュラの国というイメージを貼り付けられた上で、観光業でお世話になっているなど、現実と虚構が混然一体となって剥離できなくなっている現状を、明らかに現実味のない映像を使うことで強調する意味があるのだろう。或いは、ネット上の意見の最大公約数を提示することで、ジュデ本人の偏見に立脚しないことを証明しているのかもしれない。その結果として、ネット上の意見を集約した結果、AIの考えるドラキュラ的イメージは、ナショナリズムや排外主義に染まった存在として描かれているのも興味深い。あと、語り部の監督が基本全部に"売れるように!"と注文を付けた結果、なんでもエログロになってしまい、最終的にエログロしか残らない謎の挿話(トウモロコシを植えたらディルドが生えてくる)が登場して爆笑した。

追記
断片を組み合わせた構造ということで、どちらかと言えばフランケンシュタインに近い、と語り部の監督は言及していた。そして、次回作はセバスチャン・スタン主演のフランケンシュタイン映画になるらしい。これまた作中で言及のあった、CIAがルーマニアに作った拷問施設の話を扱う予定とのこと。