( 」゚Д゚)」Excellent!Excellent!
素晴らしい!ほぼ『聖書』の「マタイによる福音書1章18節から28章20節」までの記述に基づいて描かれている(*’ω’ノノ゙☆パチパチ
が、最初の方は、時系列がバラバラだし、イエスと12使徒たちの宣教順路も違うし、イエスが語られた場所も若干違うし、『聖書』のテーマ「神の王国・神との和解」のための「イエスの死の記念式制定」の場面がサラッと流されているんだよね。
例えば、マタイ4章18節~22節でペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの四人を弟子としたあと、10章1節にポーンと飛んでフィリポ、トマス、シモン、小ヤコブ、バルトロマイ、タダイ、バルトロマイ、ユダ・イスカリオテ、と12使徒の紹介になっている。
さらに、マタイ5章1節~29節の『山上の垂訓』がイエスのどアップで順序バラバラに語られている(笑)オリーブ山じゃない場所で(笑)
またマタイ16章13節~20節のイエスと12使徒たちの会話はカエサレア・フィリピ地方にいた時のものなのに、続けて18章1節~22節の場面が描かれている。18章の会話はガリラヤにいた時のものなんだけどね(笑)
そして『聖書』のマタイ26章20節~29節の記述が、単なる「最後の晩餐」として扱われているのが本当に残念。
本来は「過ぎこしの祭り」から始まって、ユダ・イスカリオテを去らせた後に、無酵母パンと葡萄酒による「イエスの死の記念式制定」へと繋がる大切な式だからね。
でもまあ、それ以外のマタイ26章3節でパリサイ人やサドカイ人たちが大祭司カヤファの家に集まって「イエスを殺しちゃおうぜ」って相談をし始めてから、マタイ28章19,20節の弟子たちへのイエスの最後の言葉までは、ほぼ記述通りの展開。
特にマタイ27章11節~50節までのピラトによる審理、ローマの兵士たちによる愚弄、ゴルゴタまでの道程、イエスの磔刑の経緯はお見事(*’ω’ノノ゙☆パチパチ
感心したのは、イエスの磔刑を見守るマリアたちの描写。
イエスの母マリアの慟哭。
ヤコブとヨセの母マリア。
ゼベダイの子(ヤコブとヨハネ)の母マリア。
マリア・マグダレネ。
もうマリアだらけ(笑)
そして付き添う使徒ヨハネ。
ただマタイ24章3節~25章46節の「キリストの臨在と終わりの日のしるし」がスッポリ抜けているのが残念。
あ、そうそう。なんか勘違いされがちな点を一つ。
イエスが神に「杯を去らせてください。ですがあなたのご意志のままに」と熱烈に祈られたのは"ゲッセマネの園"だからね。
"オリーブ山"は『山上の垂訓』を語られた場所なんで(笑)
あと天使ガブリエルが人のかたちで登場しているのが興味深かった。
イエスの語られていた言葉すべてが『聖書』に忠実だったのも好感が持てた。
例えば、最大のおきて①『あなたは心を込め、魂を込め、思いを込めてあなたの神を愛さなければならない』マタイ22章37節。
最大のおきて②『隣人を自分自身のように愛さなければならない』マタイ22章39節。
また、人頭税に関してのパリサイ人への返答『シーザー(カエサル)のものはシーザーに、しかし神のものは神に返しなさい』マタイ22章21節。
さらに、十字架の上で『エリ・エリ・ラマ・サバクタニ』マタイ27章46節。
極めつけは、死の直前のイエスの言葉『成し遂げられた』マタイ27章50節。等々。