ほーく

マジェスティックのほーくのレビュー・感想・評価

マジェスティック(2001年製作の映画)
3.9
【業務開始】
うえーん、仕事したくないよー

邦題「マジェスティック」
原題「The Majestic」
2002/6/27@MOVIX倉敷
評者 ほーく 
評価  4
ひとこと アメリカのもうひとつの顔。 

<コメント>
 映画の都ハリウッド。そこは、アメリカで輝ける世界のひとつである。また、アメリカの最大の建前でもある「自由」と「成功」が溢れるところでもある。しかし、我々はそこの溢れる光の対極、すなわち影をも知るべきである。
 この作品、脚本及び演出に関しては陳腐以外の何者でもない。あまりにも読める展開、そして予定調和、臭いセリフの数々、地味なキャスト。一見、凡作のように思えるが、実は必然のなせるわざなのである。
 この作品で、重要なことは「これはまぎれもなくアメリカの歴史」であることである。
 つまり、いわゆる3大喜劇俳優「チャップリン、キートン、ロイド」たちが支えた映画産業も「第二次世界大戦」により衰退し、その後の米ソ冷戦構造下での「赤狩り」は「ハリウッド・テン」の抵抗を圧殺し、「非米活動委員会」で次々とハリウッドへの圧力をかけていく。そして、現在も続く、スポンサー次第で歪曲されるシナリオ。これは、まぎれもなく、「自由」の国、アメリカの歴史なのである。ならばこその、ローソンの町であり、あの華やかな「帰還パーティ」であり、「マジェスティック」の再興であり、「たったひとりの歓迎せざる者」であり、「ささやかな嘘」であり、「いきなりの離反」であり、「真っ向勝負の孤独な闘い」であり、「妥協」であり、あのエンディングなのである。
 あのエンディングは、やはり「救済」であり、「鎮魂」であると思いたい。
 また、これとの比較で「ワンス・アンド・フォエバー」がどれだけ罪深いかが分かるはず。
※今回の背景をもう少し知る参考図書。
「栄光なき天才たち」(作/伊藤智義 画/森田信吾:集英社)1巻『ドルトン・トランボ』の章
「アメリカ映画の文化史(下)」(著/ロバート・スクラー 訳/鈴木主税:講談社文庫1204)第四部
ほーく

ほーく