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最後の猿の惑星のtakのレビュー・感想・評価

最後の猿の惑星(1973年製作の映画)
3.5
衝撃の第1作(1968年)をテレビの深夜放送で観たのは高校生のとき。これ以上にない絶望的結末の第2作、未来から猿がやって来る第3作、猿と人間との戦いが始まる第4作と観てきたが、何故か最後の第5作だけは観ていなかった。新聞のテレビ欄を見ると、深夜枠で第5作がっ!やっと観られるっ!。これで自分の中でこのシリーズが完結。

核戦争の後、猿のリーダーであるシーザーの下に村がつくられ、猿に支配されている立場の違いこそあれど、協力する少数の人間とともに暮らしていた。シーザーは自らのルーツや世界の過去を知るべく、廃墟と化した街に残された資料館へと向かう。ところが、街の地下には武装した人間たちが生存していた。シーザーたち一行を見つけた人間たちは猿の村を殲滅すべく、スクールバスやジープに武器を満載して攻撃してくる。一方、猿の村でも平和的な共存を望まないゴリラの一派との対立が起こっていた。

あれだけスケールの大きかったSF大作の完結編。だが、唖然とするくらいにこぢんまりとした映画。村と村の抗争が2時間近くに渡って描かれ、その結末として第2作で示された絶望的未来とは異なる結末が示される。小さな村が戦ったくらいで、唐突にこの結論はいかがなものか、とも思ったが、映画で描かれた物語からウン百年経ってるとして示される結末だから、その後シーザー閣下がアレクサンダー大王並みの活躍があったとか、勝手に想像してしまう。それでも、この第5作は大作とは呼びがたいショボさが残るから、評価はどうしても悪くなるのは理解できる。満足でしたか?と問われれば首をかしげてしまう。好き嫌いもあるし、映画に何を求めるのかで満足度も差が出る映画だろうけど。

この映画で強く印象に残るのは「猿は猿を殺さない。野蛮な人間とは違う。」という言葉。この考えをもっていたことが、ゴリラ一派との対立から起こった事件から、「善悪と死」という人間社会で言う死刑論に通ずる命題に猿たちは直面する。社会も進化していく中で直面するこのエピソードがあるから、この映画は単なる猿と人間のドンパチ、おとぎ話では終わらないのだ。

2011年にリメイクされた「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」は、理詰めと表現の巧みさが光る秀作。その第2作目に、本作のテーマ「猿は猿を殺さない」が再び提示される。こういう良作リメイクが作られているのもオリジナル5作品がシリーズとして愛されているからこそ。
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