純

突然炎のごとくの純のレビュー・感想・評価

突然炎のごとく(1961年製作の映画)
4.0
「戦争・死・月は男性名詞で、太陽や恋は女性名詞、そして人生は中性名詞」ひとつひとつの台詞とカットが、とにかく詩的で優雅。刺激的なのに上品で、馬鹿馬鹿しいのに切なく思えるのは、フランス映画独特の雰囲気と美しい発音のせいなのかな。

偶然の出会いから一生の付き合いとなったジュールとジム。気兼ねなく好きな文学について語り合ったり、自作の詩を翻訳し合ったりする2人の人生に、自由気ままで魅惑なカトリーヌが突然顔を出す。そして動き出す特別な三角関係。3人の戦争や恋愛や人生に対する価値観が、関係性が、高速なようでゆるやかな時間の中、一瞬たりとも止まらずに変化し続けて、不安定で落ち着かないのに何だかずっと見ていたい、そんな気持ちになる映画だった。

ジュールはカトリーヌに惚れきっていて、彼女がそばにいてくれるなら自分が1番じゃなくても全然構わないという。その傾倒具合は、親友のジムと彼女が愛し合っているなら2人に結婚してほしい、そして自分をそのそばにいさせてほしいと願うほど。ジムも冷静なようでカトリーヌへの想いを止められず、かと言って終わりにしようと決めてからもなかなか縁を切れない。この2人はとにかくカトリーヌに翻弄されてしまうけど、でも2人の方が彼女よりもずっと自由で、好きなように生きていたんだよね。そこが、原題『ジュールとジム』に繋がる部分でもあるのかもしれない。この映画では、いろんなひととひとの関係が当たり前のように壊れ、離れ、失くなっていく。そんな中で、戦争で敵となっても、愛する女性が同一人物でも、どんな状況にあっても変わらず、むしろ強まった特別な関係が、2人の間には築かれていた。2人だけが、最初から最後までお互いを1度も疑わなかった。それは友情とか仲間とかの言葉で言いあらわせるものではなくて、「ジュールとジム」という唯一無二の関係なんじゃないかと思う。戦争が終わった後の「でも本当の勝利は、2人が生き残ったことだった」というナレーションが、2人の関係性を端的に美しく言い換えてくれていた気がする。

それにしても、この作品はジャンヌ・モローがカトリーヌ役だから良作になったと言って過言ではないと思う。ジュールが言う、「彼女は別に特別美しいわけではない。聡明でもないし、誠実でもない。だけど、彼女は女そのものだ」という台詞をそのまま体現してみせた彼女の魅力は計り知れない。ひとを惹きつけて、また会いたくさせる天才的かつ犯罪的魅力が、全身から香りたっていた。あんなに秩序がなくて我が儘で感情的で扱いにくい女他にいるんだろうかってくらい複雑なのに、あんなに可愛くて可愛くて仕方ないって思わずにはいられないチャーミングさを備えてるんだから、本当に勘弁してほしい。男装してはしゃいだり、ひとりだけ抜け駆けして競走したり、急に川に飛び込んだり、可憐な歌声で何人もの男性を惑わせたり、本当に罪で愛すべき女性だ。

めまぐるしく変わる関係性の中で、誰もが自由になりたくて、愛が欲しくて、嘘がつきたくて、約束が破れなくて、愛おしかった。周りから煙たがられながらも、山荘でジュールとカトリーヌの子どもを含め4人で変顔をするシーンだとか、口づけの前に横顔の輪郭をそっと指でなぞるシーンだとか、3人で窓から顔を出すシーンだとか、どのシーンもうっとりするくらい完璧だった。不完全だから、完璧だった。決定的なのに曖昧で、いつまでも一緒にいられる関係性の脆さと強さに胸が痛んで、そして救われる。そんな映画なかなかない。登場人物を最低限に絞っているからこそ、本当に濃密で語り切れない感情がこれでもかというくらい表現されていた。泥沼な関係なのに、どこか澄み切っていて上品で、なんとなく憎めない。懐かしい愛情と、最後にちらりと横切る喪失感が、観るひとを虜にしてしまう。初めての午前十時の映画祭で、この作品に出会えて良かった。
純