純

アネットの純のレビュー・感想・評価

アネット(2021年製作の映画)
3.8
今でもやっぱり、閃光のように愛を走り抜け、闇を彷徨う彼がいる。いつだって彼の中で、愛は目覚めの儀式であり、破滅への疾走は止められない。「俺は彼女の隣で目覚めた。そしてすぐに一番デカいバイクを買った」これがカラックスの愛。

愛は失う恐怖を連れてくる。愛に向かって走っているのか、恐怖から逃げて走っているのかわからないまま、生まれた瞬間から死に向かっている愛の美しさを知っている。痛みと共に、壊れゆくものを諦めず、そばに置いておこうとするあなたは病気じゃない。臆病なひとたちが飛行場や橋の上を駆けていく景色は、どんな過去よりも健気だ。だから、あなたの愛が巡り巡って、今何色をしていても、怖くないよと伝えるために待っていたいと思う。

だけど、緑があんなに妖艶で不気味な色だったなんて。気味悪く光るヘンリーの瞳が笑っていないとき、これが「映画」であることに何度救われただろう。内の話だから実際は大丈夫、と自分を安心させていた。だけど、違う形できっと外の話でもある。愛そのものに怯えていても、映画でその愛を描くことを続けていくように、あのイントロのように、一面性だけでは愛も人生も語れない。矛盾するようだけど、リアルな人生ではない創造物ではある救いと、単なる「作品」にとどめない、スクリーンに映すことで広がる奥行きにハッとする映画だった。愛は本来、嫉妬を呼び覚ましたりしないと、わたしたちは信じていたいのだけれど。

それでも、アネットという無垢な少女が告げる真実は痛い。ヘンリーは自分にとっての愛そのものから愛を見失ってしまったこと、もう取り返しがつかないことを突きつけられる。アンと望む形で同じ場所に居られなかったことも、アネットを濁った瞳でしか見られなかったことも、もう悲しむことしかできない。

アンの悲劇を知った観衆は言った。「誰がこれからは命を捧げてくれるの?」でも、アンに犠牲を求めた彼らよりも、「生きている」のはヘンリーなのだと思う。生きていて、大事な愛や命を見失ってしまったのがヘンリーという愚かな男だった。アネットから判決を言い渡されるあのときまで、濁った瞳でしかアネットを見ることができないままで。臆病でかわいそうなヘンリー。荒れ狂う波の上で、不完全な愛を踊り、大きすぎる愛に飲み込まれてしまった。

これまでのカラックス三部作では、「これから」失うかもしれない恐怖が軸としてあった気がするけれど、今回は「すでに」愛を見失った恐怖のような感覚がある。だからこそ、エンドロールにはお葬式のような沈んだ雰囲気と、それでも子守唄のようなささやかな寄り添いがあった。最後になってようやく笑うあのひとたちが、愛を、どうか愛を見つけられますように。

愛を信じられないすべてのひとへ。
おやすみなさい。
純