織田

20世紀少年<第2章> 最後の希望の織田のレビュー・感想・評価

3.5
「血の大みそか」が過去史とされ、時は流れて2015年。新宿のマフィア抗争やともだちランド、さらには「ともだち」ならびに友民党が実権を握った後の世界が描かれ、物語の主眼とスケールが広がっていく。地球防衛軍気取りのおじさんたちが何とかできる範疇を優に越えています。

ユキジとカンナが暮らすアパート(常盤荘)の火元責任者が「常盤タカコ」だったのは笑いましたが、基本的に第2章は、絶えず監視され、追われているかのような息苦しさを感じながら進んでいきました。

以下、第1章に続き、今回も大切な"本当の友達"と過ごした昔の懐古です☝️

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作品が公開された当時(2009年1月31日)、当時大学3年生だった私たちは就活に追われていて、第2章を劇場で観たのは仲良し5人組のうち一人しかいなかった。『20世紀少年』の漫画を我々に貸してくれた彼である。ちなみに作品内でいうとドンキーみたいな立ち位置。

グループ内で一番リーダーシップのあるケンヂ的な子がいたのだけど、その彼が留学で(サンフランシスコ…ではなく)ボストンにいたのも影響していたかもしれない。(彼のことは『ボストン』と呼ぶことにする)
『20世紀少年』への熱は冷めていた。というか、エンタメ全般に割く余裕が全くない時期だった。

なので第2章を観たのはその年の8月、最終章が公開される直前。レンタルで借りてきたDVDをうちに集まった友達みんなで鑑賞した。ボストンも留学を終えて帰ってきていた。この時の写真は今でも実家にあって、大切な思い出になっている。

「高須さん楽しみだね😊」
5人の中で一番優しいヤマダが、オーザックをつまみながら言った。私は彼と一緒に、第1章を渋谷に観に行った。

5人中4人が未鑑賞という中で、映画初見組が期待していたのは高須とホクロ警官の二人だった。
コミックスを布教してくれた彼(『ドン須』)は胸板が厚く、冬でもよく半袖を着ていたので私たちは「高須さぁん!」とか「サンキュー!」と呼んでいて、高須への親近感は勝手に増していた。ドンキーと高須に似ているから『ドン須』というわけだ。

また、「ともだち」側の人間で、ホクロ野郎の怖さは群を抜いていた。高須や万丈目には欲望という人間らしさが感じられた一方、彼にはそれがない。理不尽に始末していく仕事人ぶり。こいつからは逃げられる気がしないとさえ思った。

結果的に前者は期待外れ、後者は期待通りだった。

もちろんキャスティングは知っていたものの──小池栄子の高須は何か違うなという感じ。実は良心があるのでは?と勘繰るくらい、映画版高須には毒がなかった。もっと憎たらしくて尊大なイメージなんですよ。あの人は。
胸板の厚い"私たちの高須"ことドン須も、首を傾げる我々に「やっぱ思ってた印象と違うよね?」と同意を求める。うん、そうだね。

一方で、佐藤二朗のホクロ警官は本当に気色悪くて素晴らしかった。個人的には原作で一番のトラウマが奴なのだけど、その怖さを完璧に、もしかしたら原作以上に、再現したのが佐藤二朗だった。これは2009年当時も、今回の再鑑賞でも変わらず感じたこと。

しかし、そのホクロ二朗をもしのぐクオリティのキャラクターが出現して我々は驚くことになる。
小泉響子、またの名を木南晴夏。

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小泉響子は『20世紀少年』で貴重な一般人だった。

ケンヂ一派は悪の枢軸に立ち向かい、その意志を継いだカンナも敵意を剥き出しにし、その一方で「ともだち」体制側のやばさは言うまでもない。東京の風景も、20世紀末に想像していたものとは程遠く逆行したものに見える。
その中で、「側」におもねることも「側」に歯向かうこともなく、受難の現代に巻き込まれているのが小泉響子だった。

この「翻弄される」様子を演じる木南晴夏が抜群だった。ともだちに対して怨念も敬虔な信仰心もない小泉は、作品を傍観する私たちに現実を知らしめる役割も担っている。
「高須さん楽しみだね😊」と言っていたヤマダは、「小泉良いわ〜」と何度も独りごちて、何度もオーザックの破片をソファにこぼした。

実際、見惚れるほどに小泉は素晴らしく、映画版で最も再現度の高いキャラクターだと私も思う。第1章で触れたヤン坊マー坊(幼少期)もやばかったが、小泉は出演時間が彼らと比べて圧倒的に多い。2015年、そこにいたのは小泉響子以外の何者でもなかった。まじで。

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原作でも「血の大みそか」後は結構物語がガチャガチャして、登場人物や視点が多くなっていく時期だったと思う。あんまり覚えていないけど、正直このターン長いなと思って読んでいたこともありました。

それを踏まえると、映画はスケールを広げつつ最終章へ繋ぐ山場の作り方も工夫されていたのではと。

ちなみに留学から帰ってきたケンヂ的友人『ボストン』は、第2章を観て「ばんぱくばんざい」にハマってしまいます。
口を開けば「ばんぱくばんざい」。後日最終章を鑑賞するまで、その口癖は続いていました。
織田

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