昼行灯

悲愁物語の昼行灯のレビュー・感想・評価

悲愁物語(1977年製作の映画)
4.0
これはおもろい、、隣の主婦千田かよのヤバ人具合が母親と完全一致でゾクゾクしたぜ…ほんと距離感バグってるんよな

千田かよは持ち前の距離感バグり具合のせいで近所と仲良くできなくて、孤独なんだけど、そこが桜庭の人気プロゴルファーとしての孤独と一致してしまったんだろう。かよは夫に自分よりもテレビを優先されてしまって、桜庭と仲良くなれば夫との仲も取り戻せるかもと思って桜庭に近づいたんだと思う。この問題解決の為の手段が問題の根本的解決に至らない点において典型的な距離感ヤバ人ムーブだなと思う😇
夫がかよの話を無視するほどテレビに爆笑する様子は、画面いっぱいに超クローズアップで捉えられて強調される。夫の笑い声が次に続く近所の家々の風景のカットの連続中にも続いていることを考えると、かよの孤独は家庭内から近所へと演繹されているともいえる。そう考えるとやはり夫も近所も隣人のテレビスターに執心なのだから、かよは桜庭に近づくしかなかったのだ。

かよが自ら車に当たりに行った時、桜庭のかよを気遣い、これ以上ひき続けるなという叫び声がこだまする。この時かよの顔は紙で覆われており、被害者としての匿名性が強調されている。桜庭の声を聞いてもなお車の進行を止めようとしない三宅の様子は、三宅との愛を深めたい桜庭の意に反して、芸能の仕事の予定を詰めていく三宅の強引さを表しているかのようだ。つまり、桜庭は匿名性を帯びた被害者に自身の身の上を投影したのである。

また、緑色の色彩による演出は『肉体の門』を思わせる演出だった。かよの孤独を解決するために桜庭を利用しようとする醜い一面は床や車の窓に反射したかよの顔が緑色に染まることによって表彰されていた。しかし、かよがママ友を(無理やり?)桜庭の家に集めたパーティで桜庭が黄緑色の酒を飲んだ途端、桜庭の家の一部が黄緑色に染まり、桜庭が自発的にかよのバグった距離感に呼応するようになるのだ。桜庭自身も三宅に相手にされないことや、近所の人から嫌われていること、そして芸能人としての孤独を抱えており、かよの思惑に乗ることで孤独を解消できると踏んだのだろう。
しかし、その解消は根本的なものでは無い。だからこそ、物語の最後で桜庭の弟はかよをそして桜庭を殺したあと、緑色に染まり、狂ってしまったこの家に火をつけたのだ。その時桜庭のテレビも火災によって壊れ、桜庭と芸能界の繋がりも果てたのである。

こんな感じに考えてみたけど、弟のことはよく分からなかった。弟と喋っていた女の子は誰なんだろう、、かよの善良な部分?
弟の部屋が仮設みたいな感じで面白い。あと、売春をネイルだけで察知できる弟はマジでなんなんだ。
同じようなカットが連続的に反復されるのは、映画が一時的に中断してるみたいで不安になるのでめちゃ好きだった。作品が純粋なスポーツ映画からサスペンス劇へと変化する前兆の不穏さを表していたのかな。もしくはかよそして桜庭の二面性を表しているのか。まあ普通に変な演出をぶっこみたかっただけの可能性もある
昼行灯

昼行灯