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こうのとり、たちずさんでの1000のレビュー・感想・評価

こうのとり、たちずさんで(1991年製作の映画)
4.3
卒論製造マシーンと化して、いよいよ人間がダメになって来たので、戻ってきました。お久しぶりです、久ッ々のアンゲロプロス。
あたりまえすぎて、今更言うのもアレなんですけど、映画観るのって楽しいなぁ……って。

アンゲロプロスが描く「思索の旅」。最近もどっかで見たなぁ、と思ってたら、なるほど高行健『霊山』だ。あのモノローグ調といい、行き場のないカメラワークといい、『霊山』の文体そのものだ。なんて考えてたら、そういえば『霊山』が「東洋のオデュッセイア」と呼ばれてたことを思い出し、全部繋がった。どこかへ”向かっている”のに、どこにも”辿り着けない”物語。

主人公の記者は、難民の娘と関係して、異文化の<内>へと入り込むが、結局<外>の日常に戻っていった。結婚式のシーンはどう考えても最高すぎるのだが、あれを捉えるカメラ、目線は、主人公のものなんだよなぁ。距離が、悲しい。『こうのとり、たちずさんで』は、その辺、文化人類学の不可能性についての映画として観れるな、と思った。

「時には、雨音の背後に音楽を聞くため、人は沈黙します」
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