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火垂るの墓のninekoのレビュー・感想・評価

火垂るの墓(1988年製作の映画)
4.8
アバンタイトルから涙が止まらなくなって一時停止してしまった。

本当に陰惨な映画である。と同時に、90分にも満たないランニングタイムが端的に示している通り、無駄なカットやシークエンスというものが一切なく、ひとつの作品としてほとんど完璧に仕上がっていて、この完成度の高さが逆説的に我々の心理的な逃げ場たり得ている…そんなことすら考えてしまう。原作が、野坂昭如の実体験をもとにしたものであるということを踏まえても。

まんが的なデフォルメを廃した、妥協のないリアリズム。常に大衆へと眼差しつつも、大衆性へ寄り掛かることは決してしなかった高畑勲というアーティストの凄みをまざまざと思い知られる。最大の成果はやはり人物、とりわけ節子と清太(ていうか節子)の描かれ方と声も含めた芝居であって、「この子(たち)」が確かに存在している/していたとしか思えず、最初に彼らの末期を知らされている我々は、その圧倒的な実在感の前に押し潰されてしまう。35年後に上梓されることになる『君たちはどう生きるか』よりもはるかに恐ろしい空襲の場面や、清太たちの母親の無惨な死に様以上に観るものの心を壊すのは、死にゆく運命にある兄妹の生きざま、その一挙手一投足の積み重ねである。

節子も、もちろん清太も死なずに済む道はあっただろうが、話はそう単純ではない。私たちが真に向き合うべきは、彼らが客観的な「正解」を選ぶことができなかったこととか、運に恵まれなかったことではなく、社会のあらゆる部分が機能不全をきたす中にあって、2人だけの暮らしのなかに、たしかに一種のユートピアのようなものが立ち現れてしまっていたことだろう(幼児ゆえ、長期的な視点でその時々にとるべき行動のメリット/デメリットをまったく勘定できない節子のことを思えば尚更)。この映画は「生きろ」などとは観客に語りかけない。少なくとも彼らはこのようにしか生きられなかった、ということを、取りつく島もない厳格さでただ示すのみである。
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