蚕のようだと思った。
いざ世話をしてくれる人がいなくなったら生きていけない。
清太がたまに見せる表情に、駄々をこねる節子をうっとおしく思う気持ちが出ていて皮肉だと思った。
生活に首が回らなくなった…
今年は「戦後80年」ということで、終戦の日の前後に金曜ロードショー枠で本作が放送された。
そして、本作を観た人たちがSNS上である議論を繰り広げたという。それが「自己責任論」である。「妹の節子を死…
小さい頃に見たけど大人になって見返すとまじでほんとに激鬱すぎて辛い これが現実だったっていうのが辛すぎる、、、
そして、自分の先祖もこれを体験して、生き残ったから今私がここにいるんだと思うと戦時下の…
夏に録画してたやつようやく観た。たぶん3回目くらいかな、観るの。回を重ねるたびに無になっていく。小学生で初めて観た時は衝撃を受け、おっきくなって観た2回目は悲惨すぎてもう二度と観ないと思い、今、3回…
>>続きを読む俺が生まれてから35年にして、終戦もとい敗戦してから80年目の今···
30数年間ずっと観るのを躊躇った作品を漸く観た。
避けられない現実と事実を目の当たりにした。
三ノ宮は、1年前に訪れたこともあ…
死者としての清太が自分を見ている。自分が体験したことを小説にした野坂昭如に対して、高畑勲は体験していないことを描いていく。「自分が体験していないことを描く」ことが高畑勲の作家倫理だと思った。それはつ…
>>続きを読む© 野坂昭如/新潮社, 1988