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君たちはどう生きるかのninekoのネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

これは完全に偶然なんだけど、少し前に志賀直哉の『母の死と新しい母』を読んでたので、まんまやん!となった(「白樺派」というタームが出るレビューも早速見かけてます)。あと、白雪姫だのアリスだの言われてるけど、それ以上に『神曲』ですよね。宮崎自身の個人史が接続されているのは明らかなんだけど、自傷とか、父親の感じとか、どの辺りまでが実体験に基づいているのかな。

画や動きは、極端にジブリというか宮崎駿らしからぬ部分と、往年の宮崎アニメっぽくしようとしているが微妙にしかし確実に違う部分と、お馴染みすぎるパヤオ全開なものが割とまとまりなく一つの映画に詰め込まれている。これをちぐはぐと見る向きもあると思うし、筆者自身、特に序盤はけっこう違和感があった。ここまでパーソナルでハイコンテクストな内容なら、かつての作品群のように独裁的・統一的ディレクションをとったほうが主題にも合っていただろうに、そうはせず、宮崎は外の血をふんだんに入れることを選んだ。単に年齢的にきつかったのか、鈴木Pに説得されたのか、それとも置き土産なのか(Twitterでは「財産分与」なんて言っている人もいたくらいだ)。スタッフロールの顔ぶれはさながら日本のアニメ界の総力戦である。

あくまで換骨奪胎に徹しているのでアメコミ映画のマルチバースもののように露骨なことにはなっていないが、セルフオマージュはとにかく多い。多すぎるくらい多い。やはり「さらば、すべての宮崎アニメ」ということなのだろう。そもそもそういう映画なので、過去作の焼き直しだろという声が上がっているとしたらお門違いだし、個人的にも、そういった要素を劇場で新作として観ることができている喜びが、自己言及を繰り返されるうっとうしさに完全にまさっていた。オタクだから。

【以下、7/16追記】

さて、物語のほうだが、眞人=宮崎駿、かつ、大叔父さま=宮崎駿、という解釈に異存はない。大叔父さまは高畑勲、という意見も一定数あるが、それもアリだと思う。てか両方なんじゃない?

眞人は、宮崎アニメには珍しく思春期思春期している少年主人公である(小学生だからコナンやパズーと大して年齢が変わらないはずなのに、やたらませている)。軍需産業で財を成した父親の庇護下で何不自由ない暮らしを送りながらも、父親には心を開いていない。

叔母から継母となった夏子も悩ましい存在だ。母に似ている(らしい)上に若く、いやに色っぽい。眞人は夏子とも最初は距離を取ろうとするが、それは単に継母だからというだけでなく、彼女が眞人にとり性的対象として強すぎることの裏返しでもある。そんな夏子を父親があっさりと後妻に迎え、既に妊娠までさせているという事実(※)が、性に潔癖であると同時に引きつけられもする思春期の少年にはどのように映るか。異世界において夏子の産屋に入ることがタブーとされ、彼女を「母さん」と認めることが乗り越えるべき壁として設定されているのも、つまりそういうことではないか。

※とはいえ、配偶者が亡くなった際にそのきょうだいと再婚することは、かつてはさほど珍しいことではなかった

父親の反応が予測できないはずもなかろうにああやって自傷行為に走るところからもわかるが、眞人はけっこう嫌なガキである。ダットサンでわざわざ学校に乗り付ける父親にドン引きしつつも、けっきょくは自分もその威を借りている。だが、母の遺した『君たちはどう生きるか』を読んで涙する、そんな「いい人間でありたい」という素朴な憧れも持ち合わせている。性だけでなく、ヒューマニズムをめぐっても眞人は正反対の方向に引き裂かれている。(アオサギの露悪的な言動の数々、そして彼と最後には「友達」になるということは、上記のような文脈からも整理できそうだ)

眞人が迷い込む世界は、文字通り「アニメの世界」である。それは、取りも直さずプレ思春期的なものの集まりだ。チャイルディッシュでファンタジック、躍動的でカオス。しかし現実世界の薄汚さは排除されている。その世界が崩壊し、眞人は逃げ出して現実に戻ってくる。作品の主題や構造はかなり明確で、類型的ですらある。ただ、ここで面白いのは、崩壊する世界がジブリそのものに重ねられてもいるということと、また先ほど書いたように、異世界から脱走する眞人も、異世界と心中する大叔父様も、どちらも宮崎であるということだ。つまり、イニシエーションを経て大人の階段を登り始めた少年と、子供の世界に閉じこもってそのバランスを保ち続けていた狂老人が、メタ的にはイコールなのである。宮崎駿は、最終作(たぶん、流石に)でようやく長い長い子供時代にケリをつけたということなのだろうか。だとすれば、ここまで露骨に、それも全編に渡って「母」への想いが炸裂しているのも納得だが。



最後に、本作における異世界=スタジオジブリ、というかアニメ業界説についてもう少し具体的に検証しておこう。インコ大王が鈴木Pという意見には笑ってしまったが、なるほどとも思った(アオサギ説の方が説得力があるような気もするが)。敢えてそこに乗っかって当てはめてみるとこういうことになるだろうか。

上層(天国):創造主としての大叔父さまが鎮座(高畑勲、宮崎駿などレジェンド)

中層(煉獄):衆愚としてのインコがひしめく(観客という声が多いしそれもあると思うが、製作・宣伝をはじめとする所謂「事務屋」たちや、製作委員会を構成する代理店・関係企業を指しているようにも思えた)

下層(地獄):ペリカン。ほんらい誇り高き種族でかつてはどこまでも高みを目指したが、結局は飢えに苦しんでいる(アニメーター達?)

上記はただの連想ゲームなのであんまり真面目に取り合わないでくださいね、とは申し添えておくが、まあ宮崎駿という人間のことを考えれば、業界がこういう風に見えていてもおかしくはないかなと。

【以下、8/4追記】
2回目を観たら、異世界に行くまでのパートがかなり長く、退屈に感じて、何ならちょっと眠たくなってしまった... でも点数は変えずで。
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