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モンスターズ・インクのaのネタバレレビュー・内容・結末

モンスターズ・インク(2001年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

・ピクサー作品は、作品ごとに最新鋭のアニメーション技術を一点に集約することで知られている。それは『トイ・ストーリー』(1995)の頃からで、たとえば同作はそもそも「映画にフルCGを持ち込む」という偉業を達成してみせたし、他にも『ウォーリー』(2008)では「サイレント映画(1920年代、映画の基礎となったフォーマット)との融合」、『リメンバー・ミー』(2017)では「幻想的な世界観」、『マイ・エレメント』(2023)では最新鋭のシミュレーションで描かれる「自然(抽象的な水や火の細分化)」等々、とにかくピクサーは詰め込んでいくのだが、その中でも本作については、実は「(サリーの)毛」からインスピレーションを広げているのだ。

・これは、この頃の『ナルニア国物語』(2001)シリーズや『ロード・オブ・ザ・リング』(2003)シリーズ、『ハリー・ポッター』シリーズから始まる、古代神話・歴史モノのリバイバルブームとぴったり重なる。それは、その頃『ナルニア国物語』で開発された多くの人物(数千の軍隊)のCGを同時に動かすシステム(仮想の磁石同士がひたすら反発する動きを応用しているらしい)を映画界がひたすら踏襲したからに尽きるのだが、それを人物以外にも応用した初めての映画が、本作であったのだ。サリーの髪の毛はおよそ230万本あり、1フレーム(!!)を動かすのに、通常12時間もかかったらしい。今では誰でも一瞬でこのような映像表現はできるだろう。

・本作の監督はピート・ドクターで、彼は他にも『カール爺さんの空飛ぶ家』(2009)、『インサイド・ヘッド』(2015)があるが、本作は彼の作品群の中でも唯一、アカデミー長編アニメーション賞を受賞していない作品らしい。個人的にもピート・ドクターの作品は大好きだし、本作が出世作というのは端的に言ってすごい。

・ピート・ドクターはめちゃくちゃなオタクで、彼に子供ができてからは子供との接し方に悩みあぐねていたのだが、本作のサリーとブーの距離感は彼のそんな実体験から着想を得ている。特に子供を笑わせることには苦慮したそう。

・ちなみに彼によると、ブーのモデル(の一端)になった彼の娘は、大きくなって思春期に入った頃クラスに馴染めずうつ病を発症してしまい、感情がまったくなくなってしまった。それについてのメカニズムを医者から教えてもらったことが、『インサイド・ヘッド』にそのまま反映されている。

・サリーとマイクがブーと一緒に逃げたレストランは、もともとCDAによって爆破されてしまう予定だったのだが、公開直前に9.11同時多発テロが起きた影響から、レストランを除染するという描写に変更した。今でもハリウッドでは、ビルを爆破するような描写は何かしらのお題目がない限りは自主規制によって作れなくなっている。

・一応書いておくが、本作の「ワゾウスキ」はポーランド系で、「サリバン」はアイリッシュと、現実のワーキングクラスに多い民族を選んでいる。ピクサーの名前決めにあたっては、必ず民族的な背景を考慮しているらしい。

・初期の草稿によれば、ブーのキャラは6歳として描かれていたのだが、脚本家たちは、サリーをよりブーに依存させるようにするため、ブーをもっと若くするように決めたらしい。大正解である。

・成績のスコアボードが張り出されるシーンに並んでいるのは、ピクサーのスタッフの名前だそう。楽しそう。また、映画の脚本家であるボブ・ピーターソンは、仮の声としてロズの声を担当したところ、それが社内で大評判だったため、そのまま起用されたらしい。とても楽しそう。

・サリーがテッド(下半身しか見えないモンスター)に挨拶するとき、本当はテッドはゴジラの声で咆哮するはずで、プロデューサーたちは東宝に許可を求めたのだが、拒否されてしまったので、代わりに鶏の声に変更したそう。

・実は『マイクとサリーの新車でGO!』は、映画本編から削除されたシーンの一つで、さらに当初はこのシーンが本作の最終カットになる予定だったのだが、プログラマーがブーと再会を果たすシーン以外にはありえないと交渉した結果、現在の終わり方に落ち着いたそう。たしかに本作のラストは本当に素晴らしいしこちらにしたのは大正解だったのですが、一方でこのスピンオフもめちゃくちゃ好きで、子供の頃踊り狂いながら視聴していたらしいです(母親談)。

・サリーがブーに与えるシリアルの成分表示を共有します。触手(吸盤付き)、砂糖さや、ゼラチン、人工香料、人工着色料 (黄53 & 54、赤400、青21、チェック柄 16)、塩、海水、水銀、バリウム、硫酸、鉛、胆汁、血液、汗、涙、酸化亜鉛、ビタミンD、イソギンチャク、シュリンプ、サンゴ、プランクトン、猛毒フグ、劣化ウラン(鮮度保持のため)。

・ハリーハウゼンのSUSHIレストランでは、従業員が”Get a paper bag!”(「紙袋を持って来い!」)と叫んでいるのだが、これは”ee-rah-shai-mah-seh”、つまり「いらっしゃいませ」への当て字になっているらしい(『トイ・ストーリー』にも当て字があった)。日本のレストランがどこも「いらっしゃいませ」と言うのがアメリカ人にとってはツボなのだそう。

・実はサリーがブーをゴミ圧縮機にかけてしまったと勘違いをするシーンは、ワーナーブラザーズ配給の短編漫画『フィード・ザ・キティ』(1952)に対してのマルゴのオマージュだそう。同作では、アントニーという名前のブルドッグが、自分が引き取った子猫のプッシー・フットが誤ってクッキーに整形されてしまったと勘違いをするシーンがある。このシーンは急にショッキングなので非常によく記憶しているのだが、丸ごとオマージュだったとは!

・総評&感想。まず、幼心ながら、本作は面白い反面「怪物が子供を怖がらせることが社会にとっては報酬に繋がる」「怖がらない子供のドアはシュレッダーで廃棄」「ジョージが子供の靴下を持ってきたり、寿司屋でブーが出てきたりすると、CDAが全箇所からやってきて除染を始める」「子供を虐待する装置が地下には存在している」というメタファーっぽい描写の数々が、当時ものすごく恐ろしかったのを覚えています。特に皆が、怖がらせることにあまりにポジティブなのも不気味で仕方なかったです。今見返すと本作の不気味さは、そのまま会社という利潤追求目的の集団が行き着く先をわかりやすく描いている(とも言える)ように思います(拡大解釈に過ぎませんが、本作の構造はそのまま、軍事・防衛産業の現状に当てはまります)。それが全て「子供」を軸にひっくり返るところにストーリーを集中させているところが、本当に素晴らしいです。やはり何よりブーの存在はずっと見ていられますし、最後の最後でドアを修復してブーと再会するあのシーンも、本当に素晴らしい終わり方です(本作を観た時、最後で泣きそうになったのですが、「男だから」という理由で必死に涙を我慢した記憶があります)。その他にも本作は明らかに単位時間あたりのアイデアが満載で、まずドアが保管されているという発想だけで満点だし、1カットごとにどこが面白いのかをしっかりと語ってから次のカットに進みたいので、いつか絶対にそれをしたいです(映画ファン特有のハラスメントになってしまいますが、本作はピクサー作品の中でも『トイ・ストーリー』シリーズ並に、アイデアに溢れています)。特に一番好きなシーンは、ランドールがサリーの両手で抱えられてドアに投げられて、隣でブーがニコニコしながら観ていて、その後ドアが下まで落下するシーンです(こんなカットは見たことがない)。というか、本作を改めて見ると、映画を何百本も観た自分ですら、今までに観たことのないほど独創的なカットやアングルが連続しているし、今でも映画としての最高傑作だと思ってやまないのでした。こういう映画をいつまでも観ていたい!
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