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裸のランチのnetfilmsのレビュー・感想・評価

裸のランチ(1991年製作の映画)
4.1
 1953年ニューヨーク、作家を夢見ながら、害虫駆除の仕事で糊口を凌ぐウィリアム・リー(ピーター・ウェラー)は駆除中、突如異変に気付く。スキマから出て来た害獣たち、リーは目減りした殺虫剤の補充を上司に懇願するも、相手にされない。ドラッグ・ジャンキーな醜態を晒す妻ジョーン(ジュディ・デイヴィス)の表情は、既に地獄行き手前のような退廃的な姿を見せる。元ジャンキーのリーは妻ジョーンに影響され、ゴキブリ駆除のクスリを体内に取り入れ、バッド・トリップする。ジョーンの右の乳房に打たれた針先の描写は、『ヴィデオドローム』のニッキー・ブランド(デボラ・ハリー)の耳の穴を貫通した針先の描写を彷彿とさせる。その鈍い痛みは圧倒的にセクシュアルでヴァイオレンスに観客の目に訴えかける。文学的ハイ=カフカ的ハイと称された魅惑の文字列、滑らかで転がすような文章は時に嘘をつく。まるで『ヴィデオドローム』の赤狩りのような恐怖の検閲の後、リーは背広姿の男たちに尋問される。巨大な虫と2人っきりで対峙させられた密室内、リーはハイになり幻覚を見るようなテンションで、大きな虫と会話する。まるで『ヴィデオドローム』で主人公の腹に開いたヴィデオ開封口同様に、大きな虫が言葉を発する部分はヴァギナやアナルのメタファーとして姿を現わす。

 これまで絶対に映像化不能とまで言われていたウィリアム・S・バロウズの傑作ビートニク小説『裸のランチ』を映画化した物語は、主人公の幻覚のイメージを元に、物語が組み上げられる。謎の組織「インターゾーン商会」から送り込まれた巨大な虫を靴で叩き潰した主人公、薬剤のついた唇を塞ぐような艶かしいキス、退廃的な表情を浮かべるヒロインに対し、リーは心底危険なウィリアム・テルごっこを持ちかける。的を外す銃口、地面に転げ落ちるグラス、ラブ・ドールのような蒼白い表情をしたヒロインの額を焦がす貫通した銃弾の痛々しい穴。ベンウェイ医師に唆されたアラビアへの主人公の逃避行、運命の女を殺めた銃はタイプライターへ、タイプライターはクラーク・ノヴァ・ポータブルへ、そしてマグワンプ・ジッソンへと変化して行く有機物の誘惑リレー。ジョーン・フロスト(ジュディ・デイヴィス)との情事は真っ先に『ヴィデオドローム』のマックス・レン(ジェームズ・ウッズ)とニッキー・ブランドのインモラルな交わりを彷彿とさせる。前作『戦慄の絆』においてマントル兄弟の統合を経て分裂した神経症的な人格は、リーの目の前で妻ジョーンとフロスト夫人のジョーン・フロストとを激しく混濁させる。

 腸詰めにされるミンチ肉、串刺しになったムカデの殻、トイレで蠢くムカデ、オーネット・コールマンの艶かしいJAZZ、僕のムジャ・ハディン、ガンとタイプライターに補填された8ドル札、ゲイになった遠い昔の記憶を語るウィリアム・S・バロウズの分身であるリーの焦燥感は幻の街アネクシアへ辿り着く。クローネンバーグのフィルモグラフィにおいて、最も難解な物語だと称される作品だが、ドラッギーな映像の数々とノワール的な台詞回しのセンスに心底痺れる。キーボードが持つプリミティブなタイピングの愉楽、脈打つような臓物の調べ、俺をここから連れ出してくれと言いながらも、アメリカはもう若くないと断言するウィリアム・リーの病巣は、文学仲間のハンク(ニコラス・キャンベル)やマーティン(マイケル・ゼルニカー)の制止を振り切り、熱に浮かされた状態のまま、この途方も無い小説に強引に結びを付けることを強いられる。赤いオウム、牢屋に幽閉されたゲイの性交、ブラック・ミート麻薬とラスト10分の衝撃の結末、イメージは主体的に円環状に結ばれ、2度のウィリアム・テルごっことリーの魅惑的な幻覚作用はただただ脳髄を揺らす。クローネンバーグの作法は文学的な文脈を一度破壊し、てんでバラバラに散りばめた後、新たに映像的な文脈を整理し、脱構築する。その作業はあくまで難解そのもので80年代のクローネンバーグ信者を戸惑わせるが、前作『戦慄の絆』同様に、クローネンバーグ自らのフィルモグラフィへの、心底ラジカルな挑発にやられる。
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