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ドゥ・ザ・ライト・シングのtakのレビュー・感想・評価

ドゥ・ザ・ライト・シング(1989年製作の映画)
3.8
この映画が公開された頃、ミッキー・ロークが「ロサンゼルスで起きた暴動は、この映画が引き起こした」と発言して物議を醸したことがある。確かに映画のラストは、民族間のエゴがぶつかり合い衝撃的だ。黒人街で起きた騒ぎで、イタリア系が経営するピザ屋は襲撃され、韓国系の雑貨屋も襲われそうになる。Public Enemyが流れるこのシーンは確かに力に溢れていたし、それまでの描写から感情も掻き立てられる。ここだけを切り取ってしまえば、少なからず暴動への影響があったと言えなくもない。実際この映画は多くの人に観られたわけだし。

だが忘れてはならないのは、「ドゥ・ザ・ライト・シング」は暴力を肯定した映画ではなく、それぞれの民族への愛にあふれた映画だということ。主人公であるその日暮らしのアルバイター少年のプライベートな愛、ダニー・アイエロ演ずるピザ屋一家の愛、黒人街への思い入れ、人々の胸にある民族愛が語られる。そして街を日々見守りながら、街への愛を語るラジオのディスクジョッキー。特に心に残ったのは二つある。パラソルの下で3人のおっちゃんが黒人差別問題を口汚く語る生々しい場面。そして、ラジオのディスクジョッキーが、マジック・ジョンソンやクインシー・ジョーンズ、プリンスら各界で活躍する黒人の名を挙げながら、「あなた方のおかげで我々は明日も希望をもって生きていける」と語る場面だ。公開当時のマイノリティが置かれたアメリカの現状。それが描かれた上で聞くこれらの言葉は、とても重く響く。こうした描写や語りを抜きにしてラストだけでこの映画を評価するのは違うと思うのだ。

「これが真実(トゥルース)さ、ルース」
ラジオから聞こえるサミュエル・L・ジャクソンの言葉。

スパイク・リー監督はこの映画で、現状と民族問題の難しさ、そしてマイノリティを取り巻く真実を描こうとする。衝撃のラストの後で、キング牧師やマルコムXの暴力に関するコメントが流れて心に染みる。暴力に訴えるのは正しい方法ではない、と訴えている映画なのだ。結末を考えると気持ちのいい映画ではないかもしれないけれど、もっと評価されていい映画。そして、製作された89年から、大して変わっていない今を考えてみるのもいい。

「これが真実(トゥルース)さ、ルース」
今もラジオから同じ言葉が聞こえるのかもしれない。
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