真田ピロシキ

下妻物語の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

下妻物語(2004年製作の映画)
4.5
何もかもが嘘っぽくて安っぽいマンガなのに面白い。ギンギラギンの照明やCM出身の中島哲也監督出世作らしく演出される茨城県下妻のジャスコ!1時間くらいくっちゃべられてたという話はアニメにして要約しちゃいます。尾崎豊などは大してファンじゃない人が真っ先に茶化すような盗んだバイクで走り出すアレなステレオタイプさで、本作で描かれている事柄に深い思い入れがある人がキレたとしても頷ける無神経さ。しかしこの映画の我が道を突き進もうとする所は「私、性根が腐っているから。ずっと1人でいいし。」と田舎でロココ調を貫く桃子と重なっていて、嫌われる事を恐れない姿勢が伺い知れる。中島哲也監督はそんな映画ばかり撮っている。自分はこの映画は大好きだけど『渇き』は最低と酷評していて、そんな両極端な評価を下せるのは良い事だと思うね。

出演者はまず深キョン。この人を演技派と言う人は恐らくほとんどいないけれどぶりっ子演技がこんなに嫌味なくこなせる人はそうそういない。アラフォーになった今ですらカワイイ系を演じられるのはキムタクがキムタクを演じ続けるように立派なもの。そしてこのぶりっ子少女役が過剰にマンガチックな演出された世界で生き生きとしている。もう1人は土屋アンナ演じる暴走族女のイチゴ。大変に個人的な事で恐縮ですが最近ではヤンキー女キャラばかり好きになっているのでコイツはメッチャ可愛い。高校デビューなとことか、可愛らしい名前にコンプレックス持ってるとことか、威勢が良い割にケンカは強くはなさそうなところとか。そんな正反対の2人が紆余曲折を経てバディと化していくの最高。ヤンキー女萌え同様に急速に百合好きになったので本音を言うとその辺まで行って欲しかった気持ちもありますが、これでも十二分に尊い。

同類では群れないのが素晴らしい所。桃子は自分が好きなロココ調スタイルを貫くために誰かと思いを共有する事を求めない孤独のロココ。SNSで容易に連帯出来てしまう今だからこそ公開当時よりも響く強さがある。それはイチゴにも伝染していてケジメをつけさせられていた時の大口上に繋がる。「何がケジメだ。何が組織だ。そういう社会のルールが嫌だったんだろう」所詮現実のアウトローなんてくだらねー連中だと知っている。ヤンキー先生は権力の手先でしかなかった。だからこそ概念としてのヤンキーには媚びない強さが欲しいし、本作でそういうマインドを一番強く持っていたヤンキーとは遥か彼方にいる桃子がイチゴの意識を動かした事が意味深い。

生き方の多様性で深いと思ったのは才能や素質があるからと言って必ずしもそれを仕事にする必要はないと言えてる所で生産性ばかりを求められる昨今にまた通じる。この映画は権威主義と合理主義が蔓延しきった2019年に顧みられるべき。そんな小難しい事を考えずともエンドロールの深キョンと土屋アンナを見てるだけで幸せになれる。やはり尊い。