玄野

芙蓉鎮の玄野のネタバレレビュー・内容・結末

芙蓉鎮(1987年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

文革時代の映画は何個か鑑賞したことがあるけれど、この作品は特に秀逸だった。
多くの作品が文革の被害者は反革命分子が主として描かれているのに対して、芙蓉鎮では文革に取り巻かれた、党員や一般市民を含むすべての人々の混沌とした様子、生きる為に残された道を懸命に這って進む様子がドラマティックに、シリアスに表現されている。

主人公の胡玉音は劇中では表面上は、お人好しで、ある程度の強さを持った女性として描かれているけれど、秦書田との関係性を築いていくシーンでは「壊れてんな…」と思わせる繊細な振る舞い、没落前とは変わってしまった表現も多くて、文革に巻き込まれる人間の複雑な心境が滲み出ていると感じた。

主人公2人のイチャイチャシーンが途中から多くなり、胡玉音の過去の夫とはそういうシーンが一切描かれなかったことで、対比的な構図になっていて、彼女の気持ち(罪悪感、精神的支柱が生活ではなく、より本能的に変化したこと)がより一層際立つ…イチャイチャしすぎだけど…そら誰かに頼りたくなるよなぁ、あんな状況じゃ…

自分がこの時代を題材にした映画を見るときには、クライム、バイオレンスといった要素を求めて身構えるのだけれど、今回はそれだけでは収まらず、文化大革命の新たな側面を発見できた。かなり多くの人物について個々に重要なシーンがあるので何度も見直して考えてみたいと思った。

やっぱ最後の王さんのシーンは鳥肌立つな…没落者だった彼が人並み(資本主義的な価値観かもしれない)に生きる為にはどうしても文革に迎合するしかなかった、彼も胡玉音と同じように、時代の人と同じように許された唯一つの選択肢を追い求めるしかなかった訳で。陽が登ればその後陽が沈むように、最終的に狂ってしまった彼は文革に絆された被害者の1人かもしれない。
玄野

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