わたP

ゲゲゲの女房のわたPのレビュー・感想・評価

ゲゲゲの女房(2010年製作の映画)
3.5
ドラマ版の二番煎じだろう。と、こういう流行に乗っかったのが1番ムカつく。と、そんなに思っていましたが、結果的に「映画とはなにか」の1つを垣間見た気がします。

ストーリーについては、「ゲゲゲの女房」である布江が水木しげるに嫁ぎ、水木が週刊誌で連載を持つようになるまでの数年間を描いています。
布江が嫁ぎ、貧しい暮らしと漫画家という職業に当惑しながらも、夫婦ならではの微妙な信頼関係を持って過ごし、暖かなラストシーンで映画は終わります。

この映画、極力説明的なセリフを排して、ナレーションなどもありません。心情や環境の変化を描写に依っています。
そうして能動的にシーンの意味を感じ取っていきながらストーリーが進んでいきます。そうすることでより生活感や人物像に真実味が増します。
短時間で見る人にわかりやすく伝えなくてはならないドラマではナレーションや説明的なセリフに依って受動的に理解できるように作られてあるのだろうと思うのですが、このところ、そういうドラマ的な作られ方をされている映画がとても多いようで、それはなんだかとても寂しいことのような、仕方ないことのような気が個人的にしていましたから、とても嬉しくなりました。

劇中で水木は、SF漫画を是非書いてくれという話を苦手だからと断ります、無理に時代に合わせて苦手なものを書いてどうにもならなくなった人を知っているから。と。
これは僕にはどうにも、時代に合わせて映画をそのように変容させてしまって結局少しの興行収入があったかもしれないけれど、少し経てば忘れられてしまうような、そんな映画達を表してるように思えてなりません。

求められているものを作る。というのももちろん正しいですし、立派な作業だと思います。
ただ、何かしら作家活動をしている人にとっては、自分が生み出したものがいつまでも語られたり、新たな道となったり、それによって次の時代になったりと、そういうものを目指してほしい。それには何にも代えがたい価値があるはずです!!

と、そんなものは作り手の方々は百も承知で、実際は作り手が利己を押し通すと布江が体験したようなやり切れなさを感じたり、もっと悲惨な結末になるやも知れません。誰もが水木しげるにはなれないのです。

けれどせめて勝手ですが、自分の大事なものが崩壊しない程度には、自分の納得いくものを目指してほしい。布江やしげるの生き方やこの映画はそういう指針になるのでは無いかと思います。少々取り留めもなく、個人的な感情を先走りさせてしまいましたが、映画たるは、かくあるべきかに触れ感動しました。
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