ヨウ

俺たちに明日はないのヨウのレビュー・感想・評価

俺たちに明日はない(1967年製作の映画)
3.8
何処までも手前勝手な逃亡劇だが、ボニーの視点から捉えてみると幾つかの想いが汲み取れる気がした。

冒頭から不満が溜まっている様子のボニー。その不満の理由は語られないが、車を盗もうとしていたクライドとの出逢いが、自分の望まない境遇から抜け出させてくれると直感的に感じたのだろう。
彼に連れ添って、家を飛び出してしまうボニー。

途中、ボニーの挑発に乗る様にしてクライドは不慣れな銀行強盗を行うが、既に倒産した銀行へと飛び込んでしまうなどコミカルでもある。
それでもやがて銀行強盗やガソリンスタンド強襲などをこなしていくうちに、犯罪による逃亡劇も板についてきてしまう。図らずも殺人を犯してしまい狼狽えるクライドに対して、ボニーの反応は対称的でもある。ボニーの溜まっていた欲求不満も、法を破り、枠からはみ出して自由に生きる事で少しずつ昇華されていったのだろう。

残念ながらクライドと身体を重ねたいという願いは叶わないが、それ故に法を犯す事が唯一、彼女を気持ち良く酔わす事に繋がっていく。もっと酔っていたい、出来る事ならこのまま覚めたくない。
逃亡する身となった自分の不安を自覚しない様に、ずっとバカ騒ぎをして酔わせていたかったのだろう。だから途中で奇妙な出逢いをした被害者のカップルの職業が「葬儀屋」と聴いた途端、過剰に反応してしまい、あんなに楽しくやっていた彼らを下車させてしまったのだと感じた。

不満が昇華されつつあり、このまま叶うのなら実母の近くで暮らしたいと願いを持つ様になるボニー。

「家を持つのならママの近くに住みたい。」

そう言ったボニーに対して、母は冷たく言い放つ。

「それはとってもムリだよ。すぐに捕まっちまうものね。一生、逃げ回るしかないよ。そうだろ?」

ずっと酔わせていたものから覚まさせられるボニー。もはや、安穏とした生活は許されないのだ…

やがて逃亡劇は終盤に至り、そしてあまりにも有名な160発のマシンガンによる死のダンスで映画は幕を閉じるが、この凄まじい弾丸の雨がヘイズコード(この映画以前のハリウッド映画を衰退させていた自主規制)に風穴を開け、この後に続くアメリカンニューシネマの幕開けの合図になったのだろう。

劇中のボニーとクライドには輝ける明日は来なかったが、その後のハリウッド映画の再興の幕開けは間違いなくこの映画から始まったのだと知った。
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