このレビューはネタバレを含みます
スタークは変わってしまったのか、それとも元々眠っていた内面が顕在化しただけなのか。そんなことを考えていた。
でも、鑑賞後に物語を頭の中で巡らせてみると、そのどちらでもなく、
「スタークは変わってなかった」
が正しいんじゃないかという思いに至りました。
州知事選に落選した後の空白の4年がありましたよね。
人間ひとりが権力を持ったばかりに変わってしまったことを描きたいのであれば、この4年間こそ丁寧に描くべきだと思うんですよ。
実際、「再会したら既に別人状態」だったので、最初はこの描き方に不満を感じました。
でもこの端折り方は、変わっていく様子が重要なのではなく、「豹変してしまったように見える」ということが重要であることを示してるのかなと。
思えば彼は再会して間もなく、
「悪から善は生まれる」
と隠すことなく言い放ち、悪魔でも取引するとまで言ってのけました。
客観的に「悪」を捉えてるわけです。
彼は結局のところ、最後まで信念を貫いただけなんじゃないでしょうか。
政治で一番大切なのは実行力です。
実行できなければただの税金ドロですから。
ではクリーンな行動を信条とする人間が実行力を伴っているかと言えば、間違いなくそうはなりません。
利権まみれになっている政治の世界は、元々資産を持っていたり政治家系でもない限り、どこかを妥協して、時にクリーンじゃないやり方も交えながら実行力を行使できる形に持っていかなければいけない。
スタークが何故支持されてるかといえば、言葉の力もあるけれど、何よりも弱者に対して結果を残してるからなんですよね。
対して、「悪」を向けた矛先の多くが、命を絶ってしまった判事を含めた上流階級や権力側の人間だという事実。
サディやアンと関係を持ったのはおそらくコネクション維持のためなんだと思いますが、もしかしたら上流階級への復讐心のようなものがあったのでは……と、勘ぐってしまいます。
スタークは権力者たちを犠牲にしながら、悪から善を切り拓いていくしか方法が無かったのだと思います。
モデルとなった人物も富の再分配を主張していたりするしね。
この角度で考えると、胸くそなアンがスタークに惚れ込んでいたのも、実は芯食ってたんじゃないかと思えてくる。
前知事である亡くなった父の肖像画を見つめるアンの視線。
金にモノを言わせてるようで良い感じがしなかったけれど、アンの感じ方は違っていて、おそらく尊敬してたのでは。
そして、父を間近で見てきたからこそ、似ている部分を持っていたスタークを信じていたのかなと思う。
「悪から善が生まれる」を理解していたのは、実はアンだったのかもしれない説。