プペ

海の上のピアニストのプペのレビュー・感想・評価

海の上のピアニスト(1998年製作の映画)
3.2
″稀代の天才″とは、こういった人間のことを言うのかもしれない。
世界を見て回れば大きく成長する者もいれば、″Nineteen hundred″のように自分の中で天性の素質を磨き上げる者もいる。


この、″産まれてから一度も船を降りたことのない天才ピアニスト″をめぐる、美しくも儚い作品のイタリア語原題が『NOVECENTO』であると知った時、ああ、やっぱり…という感慨にとらわれたものだった。
それは、ベルナルド・ベルトルッチの『1900年』の原題と同じだであるからだ。
たぶん、それは決して単なる″偶然″ではないだろう…

あのベルトルッチの大作は、イタリアの大地で繰り広げられた20世紀初頭から第2次世界大戦後までの激動の歴史を、壮大な叙事詩として謳いあげる。
一方、トルナトーレによる本作は、同じく1900年から第2次世界大戦直後の‘46年までを背景としながら、世界恐慌とも、戦争ともまったく無縁の寓話を叙情詩として歌うのだ。
そこに、醜い地上の「歴史」を拒否し、あくまで美しい「物語」を対置させようとするトルナトーレの作家的姿勢を私は見たいと思う。
彼の『ニュー・シネマ・パラダイス』がそうだったように、彼は、常に″夢見る者″を肯定し、けれどその″夢″が結局は″現実″に押しつぶされるしかない儚さを、深い哀悼とともに見送り続けるのだ。
本作における、あの、あくまで地上(=現実)を拒否して船もろとも消えていった主人公がまさにそうだったように…。

そんなトルナトーレの映画は、確かに甘く、美しく、″敗北″すらも甘美な「蜜の味」に変えてしまう。

ただ、そういった現実逃避を、それ以上に現実を「拒否」するトルナトーレよりも、あくまで聖も俗も美も醜もいっしょくたになったこの現実こそを直視し、まるごと「肯定」するベルトルッチにこそ私は組みしたい。
何故なら、我々は「物語」ではなく「歴史」を生きざるを得ないのだから。
私の生は、夢じゃなく現実の側にあるのだから。
そのことだけは、片時も忘れたくはないと思うのだ。
プペ

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