再見。
確かに恐るべき一作ではある。
繰り返される火、雨、海のイメージ、バッハのコラール「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」、静謐な空間描写、ルネサンス絵画を思わせるようなナタリヤ・ボンダルチュクの美貌、そして何より、人体浮遊シーン。
難解と言われがちなタルコフスキーの中では、明確な説明が多く、わかりやすいだろう。
しかし、残念ながら今もって観てみると、必ずしもSF映画としての技術は高いとは言い難い。しばしば並び称される「2001年宇宙の旅」と比較してみても、各場面のインパクトや特撮などは遥かに及ばず、また情景があまりにも少ないため、いくらなんでも力不足と言わざるを得ない。
そのため、この映画のもたらす睡魔は、能舞台がもたらすそれのような、決して高尚な部類ではない。
また、これは同時代の他の国や種類の映画にもいえることだが、この映画の執拗なまでのパンやズームイン・ズームアウトは、せっかく整えられた空間を破壊し、一気に安っぽい空気を充満させてしまっている。本作のカメラワークに関しては、いくつかの重要な場面を除き、あまり評価できるとは言い難い
結局のところ、この映画はSFのようではあるが、記憶や過去、ノスタルジーに支配されているのだ。思えば、タルコフスキーは毎回そんな映画ばかりを撮っているように思えるが、よほど過去や幼少時代に執着があるのだろうか。
少なくとも「未来都市」という前提で首都高を撮影することなど絶対にない今のロシアの人たちから見たら、この映画におけるノスタルジーは果たしてどう映るのか、見当もつかない。