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かぐや姫の物語のKSatのレビュー・感想・評価

かぐや姫の物語(2013年製作の映画)
4.2
今更ながら鑑賞。何というか、ここ最近自国に対しては失望感と無気力、無関心をゆるく抱いていたのだが、これを観ることで久しぶりに日本という国の美しさを強く感じさせられた。

こうやって観ると、高畑勲は宮崎駿とは真逆の監督であることがわかる。

宮崎はリアリズムや物語の正確さにはほとんど興味がなく、ただアニメらしいのびのびとした動きと飛躍、自分の世界観の構築を感覚的にやってのけ、やりたい放題やって成功した。

対して高畑は、知性と緻密な描写力の積み重ねで既存の物語や日本独自の情景を説得力のあるリアリズムで徹底的に再現することにこだわり続け、より情緒に訴えかけるアニメ映画を生み出すことで、ヒット作はあまり生まれなかった。

この「かぐや姫の物語」にしても、ハッキリいって目新しさはない。誰もが知ってる竹取物語である。ヒットなんかするわけがないのだ。

では、この映画の何が良いかというと、緻密な描写力とかぐや姫の生き生きとした存在感に尽きる。

前半の野山の自然と後半の寝殿造の部屋の造りや小道具、服などの緻密な表現からは、妙に知性が感じられる。また、例えばおじいさんおばあさんが都の屋敷で着飾る姿を初めて見たかぐや姫がそのこっけいさに笑い転げる場面、月からの使者が奏でる音楽など、観る者に「きっとそうだったに違いない」と感じさせるような異様な説得力に満ちている。これにより、ただの昔話のアニメ化ではなくなっているのだ。

かぐや姫の人物造形も一見すると高畑がかつて手がけた「アルプスの少女ハイジ」のような自然児のように見えるけど、意外と現代的な視点から古の時代の女性としての立場に疑問を投げかけているところも面白い。昔話でありながらも、語り口がきちんとアップデートされている。

印象的な場面もたくさんあるけど、やはりかぐや姫が怒りに身を任せて独り夜の京を疾走し、山の中に帰っていく場面のずば抜けた迫力には驚かされる。一生見ていたくなるような、アニメ表現の一つの極致だと思う。
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