桃子

惑星ソラリスの桃子のレビュー・感想・評価

惑星ソラリス(1972年製作の映画)
3.0
「監督ごめんなさい」

タルコフスキー監督2作目。前回見た「ノスタルジー」よりはわかりやすいけれど、相変わらずの長尺だし、不思議な情景もたくさん出てくる。こういう雰囲気は嫌いではない。
でも、SF映画なので舞台はどこか遠くの惑星(を見おろす軌道上にある宇宙ステーション内)なのに、宇宙感はほとんどない。地球上と同じノリである。だいいち、そんな遠くの惑星にどうやって行ったのか。コールドスリープとかしなかったわけ?どこでもドアかスターゲイトのワープでもしないかぎり、そんなにほいほい行って帰って来られるわけがない。宇宙ステーションで重力が遮断されるシーンが出てくるけれど、宙に浮くのは人間だけで、家具や小物は全く浮き上がっていない。等々、突っ込み所が多すぎて困惑するばかり(笑)SF映画だ!と期待して蓋を開けてみたらなんか違うなあになってしまう。要するに、これは舞台を宇宙という場所に設定してみました的な緩いSFなのだろう。
見ていて一番驚いたのは、ある登場人物とその息子が車で東京の首都高速道路を走っているシーンだった。近未来の風景のロケに選ばれたのが70年代初頭の東京だったのかと。Wikiにエピソードとして紹介されていた。「『タルコフスキー日記』によれば、この場面を日本万国博覧会会場で撮影することを計画していたものの当局からの許可が中々下りず、来日したときには既に万博は閉会。跡地を訪ねたもののイメージ通りの撮影はできず、仕方なしに東京で撮影したとのことである。巨匠はビル街の高架橋とトンネルが果てしなく連続する光景の無機質な超現実感にご満悦だったらしく、日記には『建築では、疑いもなく日本は最先端だ』と手放しの賞賛が書き残されている」なるほどねえ。
あともうひとつ。やはり「2001年宇宙の旅」との比較についてである。「『惑星ソラリス』と比較されることの多い『2001年宇宙の旅』を公開直後にタルコフスキーは観ているが、『最新科学技術の業績を見せる博物館に居るような人工的な感じがした』『キューブリックはそうしたこと(セットデザインや特殊効果)に酔いしれて、人間の道徳の問題を忘れている』とコメントしている。また劇中で、人間の心の問題が解決されなければ科学の進歩など意味がないという台詞をスナウトに語らせている」とのこと。私は圧倒的に「2001年…」の方が好きなので、タルコフスキー監督のこのコメントは負け惜しみにしか聞こえない。ごめんなさい、監督。でも、やっぱりSF映画を撮るのなら、ある程度の「かっこつけ」は必要だと思う。とてもじゃないけれど、宇宙にいるようには見えないというのは大きな欠点だと思う。こういう風に思うのは私だけなのかな。この映画が大傑作だと絶賛する人がとても多いみたいだし…
大いなる期待を持って鑑賞したのだけれど、SF映画フリークの私には残念としか言いようがなかった。じゃあ、SFの部分は見なかったことにして、人間ドラマとして見ればいいじゃないと言われそうだけれど、それだとこの映画は「惑星ソラリス」という「特殊な場所」でないと成立しない話なので理屈が破たんしてしまう。いっそのこと、地球上のどこか特別な不思議な場所が発見されて、そこで起こった出来事、とかにすればこんな違和感はなかったのに、なんて思ってしまった。もう1回、文句ばかりでごめんなさい、監督…
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