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男組のninjiroのレビュー・感想・評価

男組(1975年製作の映画)
2.2
「男組」を知っている人がこの現代しかも比較的お若い方々と見られるfilmarksユーザーの中にどれほどおられるかは甚だ疑問ではあるものの、自己満足のため一応紹介させていただくと、この原作漫画は雁屋哲・池上遼一のタッグにより1974年から1979年まで週刊少年サンデーに連載された日本劇画界の名作中の名作である。
「実の父親殺し」の汚名を背負った男・流全次郎が、自らが収監された少年刑務所内の腹心の仲間たち「五家宝連」の助けを借りながら、その強靭な意思と幼少より培った格闘技を武器に、強大な資本と権力を背景に自身の壮大な野望を果たすための足がかりとして関東私学高校の制覇を企てる男・神竜剛次と対決し、物語は更に関東番長連合、北海番長連合、広域暴力団朽木組、果ては国家権力をも巻き込んだ大抗争に発展するという、実に壮大にして熱く血のたぎるような「漢」たちの自由と信念の正面衝突、激しい闘いを描いた青春群像巨編である。

私も実はその世代ではないものの、子供の頃に本作を知り合いに教えてもらい、幾軒もの中古本屋をコミックスを求めて巡り、一冊一冊に繰り広げられる漢たちの熱い闘いと彼らが抱くその熱い想いに心底打ち震えながら夢中で読み耽ったものだ。
この単行本にして全25巻というかなりのボリュームの原作が、元より様々な制約の付きまとう実写映画化という舞台においてどれほどのデフォルメを施されて供されるものか、正直全く正当な期待を抱かないどころか、端からどこかちょっとした怪作を期待するばかりの一念にてDVDを再生したのだが。
意外や、結果その生真面目な健闘振りに驚いた。

まず主要登場人物の風貌の再現度の高さに驚く。主人公流全次郎を演じる星正人という俳優は今作で初めて知ったが、池上遼一の描いた流の姿形・イメージに非常に近い。まず髪型を原作の特徴的な流のそれに寄せていっていることも大きく奏功し、精悍な顔つき、その眼力は原作通り誠実で意志の強い人物像を想起させ、またそれなりに修練を積んだとみられる格闘時の身のこなし、仮に原作を上手くトレースすることが作品評価の全てとするならば、それに求められる及第点を大きく越えた熱演で応えている。
また宿敵・神竜の強面なキャラクターもやや作り込みが過ぎるきらいはあるものの、そもそも漫画の実写化というところに元を正せば、常に大振りの真剣日本刀を脇に携えて当たり前に日常生活を送るイカレたキャラクター設定をそのまま実写に置き換えるなら、これはこれで相応しいといえる。
何より神竜を取り巻く神竜組四天王の一人、大田原源蔵の再現度は思わず笑ってしまう程高い。相撲部の暴れん坊という特性から、常に裸体に廻し姿で学園生活を送る如何にも記号的なキャラクター設定はこれも漫画原作ならではのものといえる。神竜の愛刀により額に「犬」と刻まれる印象的なシーンは、本作序盤においてなくてはならないマストな名シーンだけあってとりわけ熱く再現されている。
この映画化作品は‘75年の作品であり、原作物語の連載もまだ序盤のうちに製作されたものである。それゆえその時点では未だ描かれていない原作の中盤以降の最も熱い部分であるところの善悪仁義謀略入り乱れての大抗争は望むべくもない。それどころか、かなりの低予算で製作されたこともあり、作中の小規模の戦闘シーンにおいてすら、あからさまなド下手な合成や有り得ない雑さが目立つ構成になっている。しかし壮大な原作の導入部分の映像化としてはしつこいほど非常に丁寧に作られており(恐らくこの時点での原作の連載が映像化の尺を満たすほど進行していなかったことが大きく関係していると思われるが)、ここまでの物語に大きく絡む先出三人のキャラクターの造形の再現度の高さにより何とか「見せてしまえる」作品になっている。
勿論、それがイコール作品としての面白さに繋がっているかといえば、それはまた別の話である。


ヒロインである山際涼子を演じるのは「山口智子」という名の女優さんだが、勿論あの山口智子ではない。如何に世相は変わると言えども当時の一般的な美人さんとも果たして言えるかどうかわからない彼女の拭い難い馬の骨感は、原作の涼子さんファンであった自分からするとかなり残念なところ。
また、五家宝連のうち、原作では軍師の役割を与えられ最も線の細い筈の伊庭彦造が、何故かどのキャラクターと比べても一番イカツく見えてしまうのにも大きな違和感を覚えるところ。ステゴロだったらどう考えても一番強いでしょ。
終盤唐突に出て来てはあっという間に退場する中国からの留学生「チョウさん」の表情がワンシーンだけ劇団ひとりにそっくりで独りひっそり爆笑。
そもそも怪作目当てで観ていた邪な欲求が満たされなかったのは少しだけ残念。
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