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志乃ちゃんは自分の名前が言えないのninjiroのレビュー・感想・評価

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動画で蠢く私の背中、スピーカーから漏れる私の声、皆んなから言われるよりもいち早く、私は私が気持ち悪いってちゃんと意思表明できた。誰かから同じ言葉を投げかけられて、傷つく前に蓋をした。

揃いの制服、誇らしげな校章、みんな同じ条件だって顔しながら、二、三センチの違いは明らかでも、ほんのイチニミリ、コンマ以下の違いはどうやったって乗り越えられない。どんなに憧れようと、どんなに巧みな嘘を重ねようと、近似値に近づけば近づく程、醜い私は私を忘れてしまう。少しずつずれて行く。重ならないまま少しずつ、ずっと夢見てたもの。結局何が欲しかったのか、どんな自分になりたかったのか、名前も知らないあの人みたいに、ふつうの女の子みたいに友達と他愛のない話で笑い合えたなら、どんなに毎日が楽しいだろう。せめてまともに歌えたなら、こんなに大好きな音楽をただこっそり聴いているだけの自分とさよなら出来るのに。絶望的にセンスがないから、自分の吐いた言葉や振る舞いが間違ってたと気付くのはいつも周りの反応から。どんなにささやかでも構わないから、自分の居場所が欲しい。

音楽が堪らなく好きな加代、そんな加代との二人だけの共通言語として歌うことを選んだ志乃ちゃん、ふたりのユニット「しのかよ」の名前で劇中披露される曲は、加藤和彦と北山修「あの素晴らしい愛をもう一度」、ミッシェル・ガン・エレファント「世界の終わり」、ザ・ブルーハーツ「青空」、これに加えてカラオケで加代の前で初めて志乃が歌う「翼をください」、この内、原作で歌われていた曲は実は「あの素晴らしい愛をもう一度」だけである。
追加された三曲には、原作の意味を更に増幅する役割が込められている。「世界の終わり」はどん詰まりの世界の破壊と再生の歌と解釈することができる。「青空」は血と欺瞞に満ちた世界に対する緩やかな諦観であると。「翼をください」は言わずもがな、擬人や比喩を取り除けば、それらは共通して既に取り返しもつかない程に出来上がってしまった「今ここ」からの切実な逃避願望と見ることが出来る。
そんな意味を問うこともなく、少女は伸びやかに、真っ直ぐに歌う。美しい、青春は麻薬。何時迄もその良かった時だけを思い出しては今の自分を傷つける。そんなのは全部まやかしだって、狂っているのは、悪いのは全部君だと思ってた私なんだって、誰かの真似をしたって誰かになれるわけじゃない、そんなの関係なしにわたしは外へ出かけていくよ。
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