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マンハッタンの二人の男のOASISのレビュー・感想・評価

マンハッタンの二人の男(1958年製作の映画)
3.7
国際会議に出席していたフランスの主席代表が突然失踪した事件に挑む、マンハッタン駐在の記者モローと報道カメラマンのデルマスという二人の男を描いたジャン=ピエール・メルヴィル監督作。

何ごとも無く過ぎる筈だった12月23日の午後は、国連加盟国の投票を行う会議場から姿を消した一人の男の存在によってにわかに慌ただしさを増して行く。
とはいってもメディアや同出席者は忙しなく動き回る事は無く、上司からの命令で代表を探すことになったモローと彼の知り合いで仕方なく協力する羽目になったデルマスのみという、事件の重要性のわりには省エネな捜査が水面下で行われるという内容になっている。

女ったらしである主席代表のベルチエのお抱えの情婦の元へと赴く二人。
劇場女優、歌手、外交官、バーレスクの踊り子などなど。
「文明の発展度は娼婦のレベルの高さで計られる」とデルマスが口にした様に、夜の街を彩る女性達はどれも皆美しくて怪しい色香を放っている。
ギラギラとした街のネオンに、時に力強く、時にしっとりとした音色でモノクロの映画に色味を与えるジャズミュージックが最高なマッチングを見せていて「タクシードライバー」のような浮世離れした倦怠感を滲ませていた。

騒がしい街並みとは対照的に、寂れたダイナーで休息を取る場面が短い時間でありながらもこれまた最高なシーンだった。二人の交わす軽妙洒脱な会話、ソーダ水と落とし卵という渋いチョイス、足元が覚束ない酔っ払いに、太っちょの警官とタバコを加えながら堂々と入店してくる子供のやりとり。
そんな、どうしようも無いが居心地が抜群な空気にもっと浸っていたかった。
モロー役であるジャン=ピエール・メルヴィル自身の常に眠そうな表情といい、相方の抜けているようで仕事に関しては抜け目の無い狡賢さといい、二人の関係性もまた対照的で良かった。

ゴダールの「勝手にしやがれ」に影響を与えたというだけあって編集やら撮影やらが独特で、特に終盤のジャンプカットの連続による場面転換の頻繁さは全て同じ街での出来事とな思えないほど。
かなりの数の新聞社を訪問したように思うが、果たして移動距離と経過時間は一体どうなっているのか?というのは疑問だが、84分という時間によくそれだけ展開を詰め込めたなという怒涛のテンポには参った。
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