唯

チキンとプラム 〜あるバイオリン弾き、最後の夢〜の唯のレビュー・感想・評価

3.3
1958年、イランの首都・テヘランが舞台。
天才音楽家のナセルは、気高く崇高な自己であろうとする余り、他者を蔑み受け入れないところがあり、家庭を持ちながらもその食卓はどんよりとして、暗い。
彼の見方は身勝手で、でもきっと正しい。

ここで映し出すのは、ナセルの長い走馬灯。
それは死の受容までの過程であり、彼と共に彼の人生を振り返ることになる。

ナセルが最後に夢に見るのは、長年連れ添った妻ではなく、若き日の恋人。
即ち、叶わなかった恋、だ。
人間なんてそんな薄情なもので、愛してくれた人より愛した相手を思い出すのだろうなあ。

走馬灯があらゆる時代を遡るに連れ、我々が感じた違和感が最後に紐解かれる。
まず、バイオリンを壊されたから死のうというナセルの飛躍的論理や、バイオリストの妻がバイオリンを壊す狂気的行動に疑問を感じていた。
それが実は、彼にとってバイオリンを奏でることは、唯一人の愛する人・イラーヌを存在させるための手段であり、妻はそのことを承知していてイラーヌに嫉妬し、ナセルはその術を失われたこと=二度と会えないことに絶望したために死を選び取った、という背景が隠されていた。

そこまでの深さで、長年に亘って心の中で想い続けられる相手がいるなんて、彼の人生は幸福だったのではなかろうか。

「人は芸術によって人生を理解する。楽器は光を溢れさせるためにある」
「人生は吐息。人生はため息。このため息を掴むのだよ」
私が生かされているのは、誰かが祈ってくれているからなのだろうか。

生気を完全に失ったという共通点もあるからか、主演のマチュー・アマルリックが黒澤明『生きる』の渡辺に見えて仕方がなかった。
イラーヌの、優しげでどこか涼やかで儚げな目元は、長谷川潤に似ていた。
唯