みかんぼうや

ひゃくはちのみかんぼうやのレビュー・感想・評価

ひゃくはち(2008年製作の映画)
4.2
【青春スポ根万歳!“友情VSライバル”という王道スポ根方程式だが、補欠争いという“スーパースター”でない少年たちの熱い思いに共感し涙する!】

普段、青春スポ根物をほとんど観ない私ですが、本作は私が昔から視聴作品選択で愛用しているCinema Scapeでかなり高評価だったことと、U-NEXTの配信終了が近いこともあり視聴。王道な展開ではありますが、期待していた以上にとても良かったです。特に後半の展開は正直ベタだしある程度読めましたが、なかなかの涙腺崩壊物でした。

本作は輝かしいレギュラー争いではなく、普段あまりスポットライトが当たらない補欠に入れるかどうかギリギリのラインにいる高校球児たちの熱い青春物語で、そこに新米高校野球記者のエピソードだったりも入ってきますが、やはりメインとなるのは、最高の親友であり最大のライバル、という「友情×ライバルの葛藤」のシンプルな正統派スポ根方程式が主軸になっています。

この「大好きな友達なのに、絶対に負けたくない」という絶妙な心理、分かっていてもやっぱり刺さるなぁ。私は野球部ではないけれど、こういう感覚って人生で何度か経験したことあるから。大切な親友の成功をいつも願っているけど、その友人が突如ライバルになったら自分はどう向き合うか?正解はないけれど、この作品の高校球児たちにとって、“補欠入り”は高校生活を通して賭けてきた夢だから、「一緒に最善を尽くそう」なんて、そんな綺麗な言葉では片づけられないのですよね。

“補欠に入れるかどうか”って、長い人生で見たら、それが実現できなくても、まだまだ人生は他にいいことがたくさんあるよ、なんて思ってしまいますが、彼ら高校球児からしたら、その時は、それは生きるか死ぬかの大問題で人生の一生を左右するかもしれないものかもしれない。そんな気持ちを本作からヒシヒシと感じるから、「他にいいことが・・・」なんて、経験者でもない自分は易々と言えないなぁ、と思うし、そんな自分たちの全てを捧げる姿って、やっぱり本当に美しくて心打たれます。

そんな彼らの思いが思いっきり伝わるからこそ、後半の2人の関係性が、そして運命の発表とその後の展開が心に染みました。

この作品観てると、コロナ禍で話題になった甲子園の中止とか、甲子園に限らず、文化祭でも修学旅行でも、コロナによって様々な貴重な機会を奪われた子どもたちは本当に可哀そうだなと思ってしまいます。一生に一度しか経験できないことが多い学生時代の1年は、私の1年よりはるかに重いんじゃないかな・・・なんて。もちろん、誰が悪いわけでもないから、前向きに次に向かって突き進んでいくしかないんですけどね。

あと、本作を観ていて思うのです。大谷や松坂のような常人離れしたスーパースターたちはもちろんカッコいいしプロスポーツを見る者としてはその活躍に胸ときめいてしまうけど、私が映画で感情移入してしまうのは、やっぱりそんな陰に隠れて、一生懸命夢を描き頑張るけど、天才たちにはどうしても歯が立たない、現実の壁にぶつかり跳ね返され苦悩する普通の人たち。自分の辛い経験をどこかで重ね合わせてしまうからなのでしょうけどね。

いや、大谷も松坂もマー君も我々から見えないところでとんでもない努力を積み重ねていて(きっと普通の人たちの遥か上をいく努力を継続していて)、決して持って生まれた才能だけで成功を掴んだわけではないのだろうけど、やはり実績がともなうと、途端に“憧れ”の対象に変わってしまうわけで。

私が身体能力抜群のスーパースターが活躍するアクション映画にどうしてもハマれないのはこのあたりの感情もあるのだろうか!?

・・・と、だいぶ本作のレビューから話はそれましたが、本作は要するに“憧れ”のほうではなく“感情移入できる壁にぶち当たり苦悩する少年たち”が主役なのです。だから、本作がエースで4番のスーパー高校球児の話だったら全然ハマらなかったのです。この補欠に入れるか入れないか、というラインがなんとも絶妙で思わずのめり込んでしまいました。

ちなみに後半で明かされるタイトル「ひゃくはち」の意味が、個人的になんとも好きでした。

本作といい、「のぼる小寺さん」といい、自分が高校生や大学生の時には全く観なかったような学園青春物を好んで観るようになったのは、自分の青春時代への反省か、若さへの妬みか・・・しかし、そんな青春時代の気持ちを少しでも疑似体験できるって、本当に映画って素晴らしいな、と改めて思った次第でした。
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