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ダーティハリー2のnetfilmsのレビュー・感想・評価

ダーティハリー2(1973年製作の映画)
3.4
 真っ赤な背景に浮かぶ真っ黒な44口径マグナム。真っ直ぐに掲げられた腕。撃鉄をゆっくりと引き、もう一度目標めがけて構えられたカメラが、ハリー・キャラハン(クリント・イーストウッド)のナレーションの後、突如我々観客の方を向く。「こいつは拳銃の中で、一番強力な改造拳銃だ。簡単に人の頭をふっとばせる。どうだい?試してみるかい?」の言葉の後、唐突に発射される。場面は変わり、裁判所の法廷内のドアが開き、容疑者カーマイン・リッカ(リチャード・デヴォン)とその弁護士が大きな扉を開く。その瞬間待ち構えていたマスコミのカメラのフラッシュと怒号。その数はみるみるうちに膨れ上がり、外に出るとプラカードを掲げた抗議団体のデモが辺りを埋め尽くす。彼は革命家スカーゲ惨殺事件の容疑者と目されていたが、裁判では証拠不十分として無罪となる。彼に向けられた民衆の激しい怒りと抗議の声。それをもみ消すように急いで車中に消えるリッカ氏の姿。TVではこのニュースがいま、全国に向けて生放送されている。カーテンの閉じられた薄暗い部屋、そのニュースを逐一放送するブラウン管テレビを消し、男は出かけようとしている。白いヘルメットに黒のサングラス、革ジャンを羽織った男はドアを開けると、眩しい光が入って来る。ハイウェイを足早に走り去るリッカ氏を乗せた車。車内では弁護士と微笑み合い、ほくそ笑む男の後ろを一台の白バイが追いかけてくる。その姿はサイドミラーにも映るくらい大きくなり、運転手はゆっくりと脇道へ車を停める。「センター・ラインを越えていた」と難癖を付けられた運転手は苦笑いを見せ、後部座席では権力者が苛立ちの表情を見せる中、次の瞬間惨劇は起こる。

サンフランシスコ市警察殺人課に勤めるハリー・キャラハン刑事の活躍を描いた『ダーティハリー』シリーズの第二弾。前作のラスト、正義を守る刑事の誇りでもあるバッジを川に投げ捨てたキャラハンだったが、あっさりと刑事に戻ってきている。だが本部捜査課の警部補であるニール・ブリッグス(ハル・ホルブルック)に殺人課を追い出されていることもわかる。前作ではチコというメキシコ系の相棒がいたが、彼は警察を辞め、教師になったことが明かされ、代わりにアーリー・スミス(フェルトン・ペリー)という黒人警官が彼の相棒という設定となる。ここにもイーストウッドのマイノリティへの尋常ならざる思いが見て取れる。前作では快楽殺人犯スコルピオの正体は開巻早々明かされることになるが、今作では犯人を探すミステリーの要素はクライマックスまで引き延ばされる。テッド・ポスト×クリント・イーストウッド・コンビの前作『奴らを高く吊るせ!』では牛泥棒の濡れ衣を着せられ、縛り首という「私刑」に晒された男の復讐劇を描いていたが、今作も極端な「自警主義」と「私刑」への感情を持った犯人が唐突に現れる。ここでもイーストウッドの通奏低音となる「法と正義の行使の不一致」が頭をもたげている。今作の犯人の動機は「毎日1人ずつ殺す。実行されたくなければ10万ドル払え」という前作のスコルピオの妄言とは違い、大衆の心を代弁している。法の抜け穴を突き、鼻で笑いながら平然とアメリカ社会に溶け込む無法者たちを、暴力で取り締まることは本来、ハリー・キャラハンの十八番だったはずだが、彼はどういうわけか犯人の行動を快く思わない。ここでは極端な「自警主義」や「私刑の情」に対し、一貫してNOと言うハリー・キャラハンの姿が鮮明に印象付けられる。

今作はおそらく、シリーズ史上最も派手なアクションのオンパレードであるが、全体のバランスで見ればいまいち振るわない。前作がドン・シーゲルの「引き算の美学」に裏打ちされた102分の省略の映画だったとすれば、124分となった今作の仕上がりはやや間延びしていると言わざるを得ない。それは本筋に直接関係ない様々な要素を盛り込み過ぎたため、来たるべきアクション・シーンを活かしきれていないことに尽きる。前半のハイジャック場面は丸々不要だし、アパートの階下に住むアジア人女性ソニーとのロマンスもモテ男キャラハンを描いているが、一切不要だろう。中盤の売春婦(マーガレット・エイブリィ)とポン引きのPIMPであるJJウィルソンのくだりも、多分にブラックスプロイテーション映画を意識した作りになっているが、その丹念な仕事ぶりが果たして今作のクオリティに何%ほど寄与したのかは甚だ疑問である。親友であるチャーリー・マッコイとの間柄を紐づける場面は最低限必要だが、それにしても愛妻の誘惑はさすがに蛇足だろう。中盤の射撃大会の場面は原題である『Magnum Force』を表現するために必要だったが、あそこで優勝した人物と、連覇を逃したハリーとが最後に銃で決着をつけるというなら話はわかるが、クライマックスの場面には肝心要のMagnum Forceはまったく登場しない。

これは今となってみれば、テッド・ポスト流の皮肉と据えるのが正しいかもしれない。78年にベトナム戦争の悲惨さを描いた『戦場』という映画を手掛けたテッド・ポストの反戦主義は、ここでは暴力に対し、決して暴力に打って出ないハリー・キャラハンの造形として反復される。導入部分の「こいつは拳銃の中で、一番強力な改造拳銃だ。簡単に人の頭をふっとばせる。どうだい?試してみるかい?」のあまりにもサディスティックな挑発に対し、今作のアクションは拍子抜けするくらい、ハリー・キャラハンとMagnum Forceとを大きく引き離す。コンビを組んだアーリー・スミスの哀れなど細部に渡る甘さが目立つし、警察内部の腐敗を描いた作品としては ステファーノ・ヴァンツィーナの『黒い警察』との親和性も無視出来ないが、随所に出て来たカー・チェイス場面の素晴らしさは例を見ない。何よりも今作は脚本に将来有望な2人の若者、マイケル・チミノとジョン・ミリアスを起用したことでも永遠に記憶される。
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