逃げるし恥だし役立たず

鉄道員(ぽっぽや)の逃げるし恥だし役立たずのレビュー・感想・評価

鉄道員(ぽっぽや)(1999年製作の映画)
3.0
廃線間近となった北海道のローカル線・幌舞線の終着駅で今年で定年を迎える駅長・佐藤乙松(高倉健)。不器用なほどまっすぐに鉄道員<ぽっぽや>一筋だった自身の人生を振り返り、定年間際の孤独な鉄道員に訪れる小さな奇蹟を詩情豊かに描いたヒューマンドラマ。主演は名優・高倉健、直木賞作家・浅田次郎の短編小説を降旗康男監督により実写映画化。
寂寞たる豪雪地帯の映像を背景に鉄道員として愚直なまでに一途に仕事を全うしようとする不器用な男の最期に走馬灯の様に過去の記憶が去来して訪れる至福の奇蹟を描いたストーリー。戦後の昭和漢(女性は除く)に贈られた感動のドラマも令和の世の中では流石に時代錯誤であり議論の的になる事は必須で、個人的には浅田次郎特有の強引な展開に戸惑うばかりである。佐藤乙松(高倉健)の不器用な人生は平凡な幸福への諦めにより父親の意志を継いで鉄道員の仕事を全うする事しかなく、佐藤雪子(広末涼子)に「だってお父さん、何も良い事なかったっしょ」と寂しく微笑まれると何も言えなくなってしまう。佐藤乙松(高倉健)の家庭と仕事を両立出来ない不器用な性質により愛する家族を守れなかった人生が本作の魅力なのだろうが、見方によれば仕事以外の自信がない家庭や家族の悲劇、更には自身の定年後の人生設計からも鉄道員と云う仕事に逃げていただけであり、仕事一筋で家庭を顧みなかった昭和漢の辯解と感じざるを得ない。現実逃避していただけの佐藤乙松(高倉健)は別に良いのだが、其れに寄り添った佐藤静枝(大竹しのぶ)の人生は一体何だったのだろうか…
佐藤雪子(広末涼子)が実は双子だったとか人知れず生きていたと云うファンタジー(本作が好きな方へ本当にごめんなさい)なら救い様はあったのだが、其れは其れで時代錯誤の頑固で偏屈な昭和漢の定年後に振り回される人生であろうし、海外留学後に街を出て開業する加藤敏行(安藤政信)や鉄道員を継がなかった杉浦秀男(吉岡秀隆)も実は其の様に思ってるのでは?と邪推してしまう。何故に助演の杉浦仙次に小林稔侍を起用したのかも甚だ疑問であり、暴れる小林稔侍のアタマにばかり目がいくし、「泣かさるるんなら、ぽっぽやもまだまだだ!」のラストシーンも高倉健ではなく小林稔侍なのは理解し難い。大竹しのぶ以外の全員が極寒の中でも全然寒そうじゃないとか素直に感動出来なかったと云うのが正直な感想である。
高倉健は相も変わらず格好良く上手いし、一番可愛い頃の広末涼子も制服姿で登場するし、主題歌は坂本龍一だし、当時は黎明期のシネコンに年配の方々の行列と云う近年の東映の映画にしては観客動員も凄くて、日本アカデミー賞や其れ以外の各賞も総ナメしてるしと作品の実績と評価は非常に素晴らしい訳であり…飽く迄も感受性の乏しい当方の個人的な感想である為、本作を愛してやまない方々へ此の様な投稿の内容で重ねて本当に申し訳御座いません。