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映画 ドラえもん のび太と緑の巨人伝のkasmiのレビュー・感想・評価

3.0
ドラえもん映画の中では1時間52分と長めだが、シーンの数は少ない印象。
キャラが難しい言葉や長い文章を口にすることなく、複雑な状況を子供に伝えるために、とにかく絵柄の力で見せる、ということに時間が割かれていたのではないか。
そのため詩的な仕上がりになっており、大人が見るには少し説明が足りない感じがした。

誰かが欲を持つとみんなで取り合いになり戦争が起こる。意見が違うだけで敵になっちゃうの?怒りは破壊の力。世界の始まりにあった思いやりと共生の心を忘れてはならない。(例えばキー坊と戯れた少女のような!)
というメッセージは伝わりやすいものだった。
のび太たちの「気づき」によってキー坊の言葉がわかるようになった、(それまでもずっとキー坊は語りかけていたのだ)、という展開もとても良い。
しかしオチには釈然としない思いもある。地球は「猶予をもらう」ことで一時的に救われたわけだが、そのようなことはのび太たち以外の地球人は知る由もなく、今後も何もなかったかのように緑を破壊し続けるだろう、と思ってしまうので、素直に喜ぶこともできない。
地球が救われたけれど、完全に喜ぶことができないこのモヤモヤ感が肝。環境問題について子供たちが考えるきっかけになる。

最後の方はビジュアル的に壮大だが何が起こっているのかよくわからなくもあり、「結局緑の巨人ってどんな姿だったっけ?」となってしまった。

また王女の心情がかなり掴めなかった。少ない描写から一生懸命想像するに、「まだ幼いうちに父である王が亡くなり自分が国を背負う立場になってしまい、決断しなければならないことを重荷に感じている。そしてまだ彼女は王である以前にひとりの少女であるが、周りには自分の権力を利用して国を治めようとする強欲な大人(シラーたち)しかおらず、少女らしく友達と遊ぶことも許されず、心を打ち解けられる者がいない。そのため、王女であることしかアイデンティティがなく、わがままで横柄な振る舞いをしてしまうし、自分の孤独でいっぱいいっぱいなので国のことなんか考えてる余裕がなく、私は緑の事なんか知らない!とグレて見せてシラーの言いなりになってとりあえず仮初の王女を演じている」という感じかなぁ、だから王女と絆を深め心を開き、問題に共に立ち向かうことで王女を成長させ、目覚めさせることが鍵になるのでは、と思ったのだが、どうもそんな感じでもなさそうなのだ。
結局父親のことは最後まで語られないし、完全に黒幕っぽかったシラーのことを普通に慕っているし、しずかちゃんに心を開くも(私は映画ドラえもんのゲスト女の子キャラがしずかちゃんと二人で絆を育むシーンが好き)、唐突にのび太を殴り出したりするし、前半は考えることを放棄してしまっているっぽかったのに戦いの後半ではシラーの考えをトレースしたみたいになってるし、本当によくわからなかった。


「キー坊を助けなきゃ!」をモチベーションに動いており地球に危機が迫っていることをなんとなく置き去りにしているドラえもんたちもかなりおかしかった。
のび太の輪郭が崩れ概念化したみたいになってるシーンもなかなか狂ってて面白かった。

まあ一番はキー坊がかわいいっていう映画だからな。
「キーキー」だけをあんなに連呼するなんて、声優さん大変だっただろうな。

キー坊への母性、そして奮闘するのび太たちへの母性、で最後の方は泣けてしまった。母性で見る映画だと思う。最後の最後、エンドロール直前のママとパパのシーンは最高。

ジャイアンがとりわけいいやつ。こんなにジャイアンが怒ったりいじめたりしない作品も珍しいのでは?
会議のシーンはスターウォーズみたいだったし、キー坊が生贄みたいに吊るされてるのは雅楽の楽器みたいだった。
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