レオピン

プラダを着た悪魔のレオピンのレビュー・感想・評価

プラダを着た悪魔(2006年製作の映画)
3.8
その道のカリスマ師匠にとりこまれる系でいうと『ウォール街』とか『セッション』とか。『ディアボロス』は本物の悪魔だっけか。
この悪魔は決して声を荒げずに、聞こえないくらいの小声で注目を集める術を知っている。京都の人かな

ふ〜ん これもう2006年の公開か。仕事で自己実現という強迫観念は日本じゃロスジェネ以降多くの若者が通った道ではないか。消費で自己実現といってられた先行世代とは違う。ある種のマジメに追いやられている。これは世界的にそうだ。「やりがい」の罠にハマらず搾取もされずにどうやって生きていけばいいのか。

やっぱり当時、修行系成長系の人は共感を持って見た人も多かったのでは。意識の変化やステージを外見だけで映す、コート投げや出勤する服装で見せた圧縮編集は確かにテンポがよくて気持ちいい。彼女の修行(レベル上げ)がただミランダの私用をクリアしていくだけというのもいかにもありそうだ。

社会に出ると人を道具として扱う操作系の人間に度々出くわす。そういう人物が上にくると自ずと雰囲気が決まってくる。ミランダのような鬼神は敬してこれを遠ざく方針でやってきたつもり。いつでも仕事は仕事、ただのライスワークですという構えも大切だと思っている。

ダークサイドに飲み込まれる前にサッと身を引くこと。これは思っている程簡単じゃない。コラムニストのクリスチャンとのロマンスはとってつけた感じだったが、彼は本来闇落ちの危険を誰より教えてくれる存在ではなかったのか。

ミイラとりがミイラになる危険はどこにだってある。アンディは引き返すことができたがその代償がちょっと弱いと感じた。原作では彼女との対立がもっと明確に描かれているよう。

そもそも何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない、というのが嫌いな考え方だ。彼女に一番嫌悪を覚えた瞬間はエミリーにはあなたが言うのよと彼女の地位が失われたことをアンディの口から言わせようとするところ。

操作系はあのように感情を秘かに、だが強烈に使う。コート投げをアンディからエミリーに変更するところなども分かりやすい。周りは何かのサインとして捉えてしまう。これを成長を与えてくれたきっかけと捉えるとドツボだ。

アンディは心から大切だと思える仕事につくためにミランダの下で働くことが成功への道だと信じていた。だがジャーナリズムとファッション業界。最初から違う。あれ以上猫かぶって仕事をしていてもきっとミランダのような人からは丸見え。だからあれでよかったんだろう。

腰掛けだからと思っていても実際にはただ決定を先延ばしにしているだけかもしれず。常に自己チェックを働かせ選択も選び直す。やっぱり幸せに生きるには色々七面倒くさいことが必要なのだなぁと、、だいぶんボンクラな感想でした。

以上よ

 
⇒関連作:『メットガラ ドレスをまとった美術館』

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