結局、今の時代、同性愛に対する偏見云々を描くのは既に時代遅れで、いかにそこから普遍性を見出すかに重きが置かれているように思う。
そういう意味では、この映画は成功している。
一見するとかなり淡々としているようにも見えるが、細かい部分が本当に巧い。
ブロークバック・マウンテンにおいて2人が一線を超えた時の様を見て明らかなように、どちらかというとヒース・レジャーは務めて男性的(タチ)に振舞っているのに対し、ジェイク・ギレンホールは少し女性的(ウケ)である。
そのため、レジャーはいかにも貞淑で家庭的なミシェル・ウィリアムズと平凡な結婚をするのに対し、ギレンホールは絵に描いたように肉食なロデオガールのアン・ハサウェイに「見出される」。この対照的な結婚生活が実にバランス良く考えられている。
ヒース・レジャーのキャラクターは終始物静かで、同性愛に対してどこか臆病になっている節がある。しかし、例えばギレンホールと再会する直前に彼の周りに並べられたビール瓶の数や、家族を守るためにチンピラをぶちのめした彼の後ろに打ち上がる花火なんかは、彼の心理を雄弁に物語っている。
長年に渡る二人の関係が丁寧に綴られる一方で、離婚した後のヒース・レジャーの恋人(リンダ・カーデリーニ)がたったの3シーンしか出てこなかったりと、時間表現の省略が実に大胆だ。時間経過を理解するためには、たまに読み取れる台詞と車の種類、極めてわずかながら変化している登場人物のヘアスタイルから推察するしかない。
このように省略されているところを見れば、レジャーにとってカーデリーニとの関係は大したものではなかったようにも見えるが、彼女が彼の前で涙を流して去ってゆくところを見ると、実はかなり真剣なものだったことが伺える。
さらに、レジャーの電話に対してハサウェイが見せる微妙な表情......。
この映画は、社会から隠れながら関係を続ける2人のカウボーイの苦悩だけでなく、その周囲の女性たちの苦しみもきちんと描いているところが偉い。
度々映し出されるワイオミングの大自然も言うまでもなく美しい。しかし、終盤に出てくる、真っ白で何もない、ワイエスの画を思わせる、異様な家の描写。あのインパクトは凄い。
ラストの言葉にならない切なさと救いは、何回見ても凄い。やっぱり、普通の映画ではない。